金橋神社・勾金橋宮(まがりのかなはし・安閑天皇宮跡)地図
樟勾宮・欽明天皇

天太玉命神社地図

     
 
 安閑天皇(西暦四六六〜五三(五)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣国押武金日天皇の名で親しまれ
西暦五三四年春正月に第二十七代天皇として勾金橋宮で即位された。

 都を大和国盤余の玉穂宮から勾金橋の地(橿原市曲川町)に遷されたのは今から千四百五十余年前の
ことで寛大にして仁徳の心深い天皇は此の地で善政を敷かれた。

 この由緒ある金橋宮跡に安閑天皇の遺徳を偲びその神霊を祀って創建されたのが権現社である。

 権現社建立時期は定かではないが明治維新に金橋神社と改称され人里に接した社地は竹林と生垣で隔
てられ社殿の周囲には古木が聳え立ち千古の霊蹟を今日に伝えている。

 大正四年十一月に奈良県教育会(現教育委員会)より建設された安閑天皇勾全橋宮跡の記念碑も境内に
保存 されている。

  平成元年十一月十二日 橿原市曲川町

天皇と宮の名  継体天皇の謎  大兄 
     

 安閑天皇の勾金橋宮は、橿原市曲 川町の金橋神社付近に推定されている。金橋神社は、曲川の集落の北は

ずれに、小さな祠がある。昭和三十一年に橿原市に含まれるまでは、この曲川をはじめ、付近の忌部、雲梯、

東坊城、古川、新堂の六ヶ大字で高市郡金橋村を構成していた。

 いつのころからなのか、金橋神社は安閑天皇を祭神とする。しかしそれ以外は、勾金橋宮の存在を示すものは
何もない。「金橋」の地名もJRの駅名などに残る
くらい。

 ただ、東から北へ大きくわん曲して流れる曽我川はまさに「曲川」」。「勾金橋宮」の「勾(まがり)」の地名をほ
うふ
つさせるものがある。

 その曲がる曽我川のほとり、忌部町に注目すべき神社がある。 天太玉命神社(あまのふとだまのみこと)。祭神
は、高天ヶ原神話の
天岩戸祭記に活躍する神として、その名が登場する。天太玉命⇒

中臣氏と並ぶ古代の祭記氏族として知られる斎部氏(いんべ)の祖神でもある。

 昭和五十八年、同社の北約五百メートルの国道24号線橿原バイパス建設地(曽我遺跡=橿原市曽我町)から

おびただしい数量の臼玉(うす)、菅玉(くだ)、勾玉、丸玉、ナツメ玉、有孔円盤などが出土した。その数約八十万
個。緑色凝灰岩(グリーンタフ)、碧玉滑石琥珀、ヒスイ、水晶などの原石や破砕片を含めると約一千万個。
多数の未成品や失敗作が、玉作りの場だったことを語りかけた。わが国最大の玉作り遺跡といわれる。

 時期は五世紀後半から六世紀初めごろまで。原石は遠く山陰や北陸から運ばれてきたものも多く、調査を担当
した橿原考古学研究所の関川尚功氏は、「各地に分
散していた玉作りを大和に集中させた王権直属の工房だっ
た」との見解をとる。

 王権の玉作り遺跡と祭氏族の祖神を祭る神社は隣り合わせ。そして、その祭神の名は、はからずも「太玉命

 曲川も「金橋」も古代がしみ込んだ土地である。
   井忠義  日本書紀の大和 より




樟勾宮・欽明天皇
日本書紀 欽明天皇十四年秋七月辛酉朔甲子に、樟勾宮に幸す。
未詳。勾は奈良県橿原市曲川の地か。