丹生都比売神社 地図
   
 由緒と歴史⇒
 1700年以上前、天野の地に鎮まった天照大御神の妹・丹生都比売大神を祀る.全国180余社の総本社。
丹生都比売大神の子•高野御子大神は、狩人に化身して弘法大師空海高野山開山へと導いたという
伝承が残る。高野山参詣の表参道・町石の途中にある「ニツ鳥居」から神社に下りお参りをした後、
高野山詣りを続けることが習わしであった。
 江戸時代まで•修験者がこの神社のご神体を担いで葛城28宿49院を巡る行事が続き、帰路の際の
神還祭は今も每年7月18日に行われている。境内には役行者の厨子や修験者の碑が残されている。 
 丹生都比売     
一之宮  丹生  弘法大師は高野山の水銀 
入谷集落  丹生都比売神社由緒   
 
 楼門(重文)
楼門(重文)
 1499年(室町時代)の建立で入母屋造り檜皮葺。
 室町中期の三間一戸の代表的な楼門形式である。 
   
 輪橋(太鼓橋) 
輪橋
 神様が渡られるための神橋で、反り橋の形状になったのは淀君が
寄進したと言われる。 
 
 輪橋(太鼓橋)⇒
     
本殿向かって右から(重文)
  第一殿 丹生都比売大神
 第二殿 高野御子大神
 第三殿 大食都比売大神
 第四殿 市杵島比売大神
 
 向かって左 若宮 行勝上人
      
  中鳥居  外鳥居
外鳥居
 両部鳥居の形式となっており、鳥居に屋根と台輪、前後の稚児脚が付属し、
神仏集合の特色を表している。  
   
   
 境内 社務所 
   
外鳥居 境内より 
   
 
 
 鏡池  (輪橋)太鼓橋 鏡池 
 鏡池
 不老長寿になった八百比丘尼(やおびくに)という尼僧が池にその姿を映し、
年老わない自分(いつまで経っても若いまま)を嘆き鏡を投げ入れたと伝わる。
 
 楼門の左は神饌所、右は拝殿
 
奥より 楼門、中鳥居、禊橋
   
大念仏ー結衆宝篋印塔
 この塔は、応永二十三年 (一四一六 )に大勢が集まって念仏を唱える大念仏を
行う人たらが、秋の彼岸中日に建てたものです。
 建立と共に、二こ上天野には大念仏が、下天野にはお盆や葬礼の際に念仏を
唱える六斎念仏が盛んとなり、現在に至っています。
 この塔の状態は、鎌倉時代の形式をよく現し完存しており貴重です。
 
 大峯修験者の碑伝他⇒
 
 神社の駐車場、バス停
   
佐波神社⇒ 
 
佐波神社 
佐波神社
 境内社で、明治時代に上天野地区の緒社と合わせ
祀った。

   
 笠田駅



西行堂 地図
 
   
   
西行堂
 天野の西行堂は、吉野の西行庵弘川寺の西行堂と共に、西行妻娘ゆかりの
お堂と して有名です。
 このお堂は、元々道をはぎんで西にありましたが、昭和六十一年 (ー九八六 )に
場所を移してここに再建されました。
 西行妻娘の住まいであった庵を、西行堂と して祀った天野の里人.は、再建を繰
り返しながら、平安時代末期より守り続けてきました。
 西行が出家してまもなく妻も尼となり、二年後に庵を建てて住みました。娘も十五
歳の時尼となり、母と共に生涯を終えま した。
 妻と娘は、この下に葬られ、誰が建てたのか小さな六地蔵にかこまれ、しずかに
眠っています。
   なく虫の 草にやつれて ゆく秋か
    天野に残る 露のやどりぞ
 (似雲) 
西行法師⇒