年 表
飛鳥時代 | 奈良時代 | 平安時代 | 鎌倉時代 | (南北朝時代) | 室町時代 |
安土・桃山時代 | 江戸時代 | 明治時代 | 大正時代 | 昭和〜 |
時代 | 天皇 | 西暦 | 和暦 | 事項 |
神武天皇 | 神日本磐余彦尊(のちの神武天皇)誕生 | |||
前667 | 東征開始 | |||
前663 | 香具山の土で厳瓮(いつへ・清浄な神酒いれる瓶)を作り丹生(にう)川上流で戦勝を祈願 饒速日命が帰順 |
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前660 | 神武天皇橿原宮にて即位 | |||
前585 | 神武天皇橿原宮で崩御 | |||
綏靖天皇 | 前581 | 綏靖天皇即位 葛城高丘宮に遷都 |
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前549 | 綏靖天皇崩御 | |||
安寧天皇 | 前549 | 安寧天皇即位 片塩浮孔宮 に遷都 |
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前510 | 安寧天皇崩御 | |||
懿徳天皇 | 前510 | 懿徳天皇即位 軽曲峡宮に遷都 |
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前477 | 懿徳天皇崩御 | |||
孝昭天皇 | 前475 | 孝昭天皇即位 掖上池心宮に遷都 |
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前393 | 孝昭天皇崩御 | |||
孝安天皇 | 前392 | 孝安天皇即位 室秋津嶋宮に遷都 |
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前291 | 孝安天皇崩御 皇太子黒田廬戸宮に遷都 |
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孝霊天皇 | 前290 | 孝霊天皇即位 | ||
前215 | 孝霊天皇崩御 | |||
孝元天皇 | 前214 | 孝元天皇即位 軽境原宮に遷都 |
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前158 | 孝元天皇崩御 | |||
開化天皇 | 前158 | 開化天皇即位 春日率川に遷都 |
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前98 | 開化天皇崩御 | |||
崇神天皇 | 前97 | 崇神天皇即位 | ||
前95 | 磯城瑞籬宮 に遷都 | |||
前91 | 大田田根子を探し、大物主神を祀らせる | |||
前88 | 武埴安彦(たけはにやすびこ)の反乱 倭迹迹日百襲姫命、大物主の姿をみて、箸が陰部に刺さり亡くなる |
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前30 | 崇神天皇崩御 | |||
垂仁天皇 | 前29 | 垂仁天皇即位 纏向珠城宮 |
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前25 | 狭穂彦王(さほびこのみこ)謀反発覚、妹の皇后狭穂媛(さほびめ)とともに果てる | |||
前23 | 野見宿祢、当麻蹴速と相撲をとる | |||
前5 | 倭姫命、天照大神の鎮座地を求めて伊勢国に至り、祠を立てる | |||
前2 | 倭彦命の葬礼に際し、殉葬を禁止する | |||
3 | 日葉酢媛命の陵墓に埴輪を立てる | |||
57 | 倭の奴国王、後漢の光武帝から印綬を与えられる | |||
61 | 田道間守(たじまもり)に命じて、常世国(とこよのくに)の非時香菓(ときじくのかくのみ)を求めさせる | |||
70 | 垂仁天皇纏向珠城宮で崩御 | |||
71 | 田道間守帰国、天皇の陵にて殉死 | |||
景行天皇 | 71 | 景行天皇即位 | ||
74 | 纏向日代宮に遷都 | |||
97 | 日本武尊、熊襲を征討 | |||
107 | 倭国王師升ら、後漢安帝に入貢。生口160人献上 | |||
113 | 日本武尊、蝦夷征討の帰途、伊勢国にて薨(こう)じる | |||
130 | 景行天皇志賀高穴穂宮にて崩御 | |||
成務天皇 | 131 | 成務天皇即位 | ||
147 | 子の頃より倭おおいに乱れる | |||
184頃 | 倭国大乱し、卑弥呼「中平銘鉄刀」(東大寺山古墳出土)を授かる 邪馬台国の女王卑弥呼が登場 |
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190 | 成務天皇崩御 | |||
仲哀天皇 | 192 | 仲哀天皇即位 | ||
193 | 穴門豊浦宮に滞在 | |||
199 | 筑紫国橿日宮(かしひのみや)に滞在 | |||
200 | 仲哀天皇神託を信用せず、崩御 神功皇后、神託を聞き、新羅を征討する 皇后、新羅より帰り誉田別尊(ほんだわけ・のちの応神天皇)を生む |
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神功皇后摂政 | 201 | カゴサカの王(みこ)・忍熊王(おしくまのみこ)の反乱 神功皇后が皇太后として成務を引き継ぐ |
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203 | 磐余若桜宮(いわれわかざくらのみや)に遷都 | |||
239 | 魏志倭人伝、明帝景初三年六月条を日本書紀本文中に引用 卑弥呼が魏に使いを派遣し「親魏倭王」の称号を叙せられ、金印紫綬を与えられる この前後に纏向遺跡ができる |
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240 | 帯方群太守弓遵が倭国に遣使し詔書・印綬をもたらす | |||
243 | 倭王、魏に遣使す | |||
248 | このころ、卑弥呼没し径百余歩の家を造る(箸墓) 宗女壱与を立てて国中治まる |
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262 | 葛城襲津彦(かずらきのそつびこ)を派遣して新羅を攻撃させる | |||
266 | 倭の女王、西晋に入貢す | |||
269 | 皇太后崩御 | |||
3世紀後半 | 中山大塚古墳、西殿塚古墳 | |||
応神天皇 | 270 | 応神天皇即位 | ||
310 | 応神天皇崩御 | |||
仁徳天皇 | 313 | 仁徳天皇即位 難波宮津宮に遷都 |
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4世紀前半 | 東殿塚古墳、行燈山古墳(崇神天皇陵) | |||
369 | 百済、七支刀を造る | |||
372 | 百済、七支刀倭王におくる | |||
391 | 倭国が新羅侵入391〜404 | |||
399 | 仁徳天皇崩御 倭と百済は連合して新羅に出兵 |
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履中天皇 | 400 | 履中天皇 磐余稚桜宮で即位 | ||
405 | 履中天皇崩御 | |||
反正天皇 | 406 | 反正天皇即位 |
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.411 | ||||
允恭天皇 | 412 | 允恭天皇即位 | ||
413 | 倭国、東晋に方物を献ずる | |||
415 | 諸臣に対し、盟神探湯(くかたち)を行う | |||
416 | 日本書紀に「地震(なゐふる)」記述⇒。文献上最古の記録 | |||
421 | 倭王讃、宋に朝貢し武帝から叙爵される421〜478 以降、倭の五王が南朝に朝貢する |
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425 | 倭王讃、司馬曹達を遣わし、宋の文帝に上表する | |||
430 | 倭国王、宋に朝貢 | |||
435 | 皇太子木梨軽皇子(きなしかるのみこ)の近親相姦発覚、妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)を伊予に流す | |||
438 | 倭国讃没し、弟珍立つ。珍、宋に遣使朝貢す。宋の文帝、珍を安東将軍とし、 倭隋ら13人に軍号を授ける |
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443 | 倭国王済、宋に朝貢し、安東将軍を授かる | |||
453 | 允恭天皇崩御 | |||
5世紀中頃 | 履中天皇難波宮を出て石上神宮に入る。次いで磐余若桜宮に居る、石上溝(運河)を掘る | |||
安康天皇 | 453 | 安康天皇即位 石上穴穂宮に遷都 |
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456 | 安康天皇、眉輪王(まよわのおおきみ)に刺され崩御 | |||
雄略天皇 | 460 | 倭国王済没し、世子興、宋に朝貢す 雄略天皇、泊瀬朝倉宮で即位 葛城山で狩猟中、一言主神に出会う |
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462 | 倭国世子興、安東将軍を授かる 后に蚕を飼うことを薦める 三諸岳(みもろのおか)の神をみようとする |
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471 | 乎獲居臣(おわけのおみ)が 獲加多支鹵大王(わかたける)に仕えたことを記した鉄剣を作る(稲荷山古墳出土鉄剣銘文) | |||
477 | 倭国、宋に朝貢す。興没し、弟武立つ | |||
478 | 倭王武、宋に朝貢し安東大将軍を授けられる | |||
479 | 雄略天皇崩御 南斉、武に鎮東大将軍を授ける |
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清寧天皇 | 480 | 清寧天皇 磐余甕栗宮で即位 | ||
481 | 億計王(おけのみこ・のちの仁賢天皇)・弘計王(おけのみこ・のちの顕宗天皇)の兄弟を播磨で発見 | |||
484 | 清寧天皇崩御 | |||
顕宗天皇 | 485 | 顕宗天皇即位 | ||
487 | 近っ飛鳥八釣宮で崩御 | |||
仁賢天皇 | 488 | 仁賢天皇 石上広高宮で即位 平群真鳥、大伴金村にほろぼされるという |
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498 | 仁賢天皇 崩御 | |||
武烈天皇 | 498 | 皇太子小泊瀬稚鷦鷯尊(おばつせわかさざき・のちの武烈天皇)、影姫を見初め、乃楽山で平群鮪(しび)を討つ 武烈天皇即位 泊瀬列城宮に遷都 |
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506 | 武烈天皇崩御 | |||
継体天皇 | 507 | 継体天皇樟葉宮で即位 | ||
511 | 継体天皇 筒城宮(つつき)に遷都 | |||
512 | 百済へ任那四県を割譲 | |||
515 | 物部連ら、伴跛国の反抗をおさえるため出兵 | |||
518 | 継体天皇 弟国宮(おとくに)遷都 | |||
524 | 百済の聖明王、王位に就く | |||
526 | 継体天皇 磐余玉穂宮に遷都 | |||
527 | 筑紫国造磐井の反乱 近江毛野臣を任那に派遣せんとす | |||
529 | 倭軍( 近江毛野臣ら)安羅で百済・新羅の任那進出を阻止せんとし失敗 | |||
531 | 継体天皇崩御 | |||
安閑天皇 | 531 | 安閑天皇即位 | ||
532 | 532・562 新羅が伽耶を滅 | |||
534 | 勾金橋宮に遷都 このころ屯倉が集中的に設置されたと伝えられる(書紀) | |||
535 | 安閑天皇崩御 | |||
宣化天皇 | 535 | 宣化天皇 即位 | ||
536 | 檜隈盧入野宮に遷都 | |||
537 | 大伴狭手彦、任那に渡り百済を救う | |||
538頃 | (百済の聖明王から仏教伝来) (日本書紀では552) | |||
539 | 宣化天皇崩御 | |||
欽明天皇 | 539 | 欽明天皇即位 蝦夷・隼人が帰順する |
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540 | 磯城嶋金刺宮に遷都 大連大伴金村、百済への任那四県割譲の責任を問われ失脚 |
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541 | 百済の聖明王に詔して任那復興を命ずる | |||
545 | 百済、天皇のために丈六の仏像を造る | |||
552 | 聖明王王、釈迦仏の金銅像・幡蓋・経綸などを奉ずる 仏教伝来(日本書紀では) 仏像礼拝の可否を巡って群臣、論争になる |
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553 | 茅渟(ちぬの)海より樟木がみつかり、仏像二体を造らせる 百済、援軍を要請 天命思想の受容 百済から医・易・暦博士 |
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554 | 新羅との戦いで、百済の聖明王戦死 | |||
555 | 吉備に白猪屯倉をおく | |||
556 | 吉備に児島屯倉、倭に身狭屯倉をおく | |||
557 | 百済王子余昌(よしょう)、威徳王(いとく)となる | |||
562 | 任那の日本府滅ぶ(新羅により) | |||
569 | 白猪屯倉の田部の丁籍を定める | |||
570 | 大臣蘇我稲目宿祢薨じる 物部尾興ら石仏を破却す(元興寺縁起) | |||
571 | 欽明天皇崩御 | |||
敏達天皇 | 572 | 敏達天皇即位 蘇我馬子宿祢を大臣とする 百済大井宮に遷都 |
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574 | 聖徳太子生まれる | |||
575 | 訳語田幸玉宮に遷都 新羅 任那四色の調を貢ぐ | |||
577 | 私部をおく 百済より経論・僧・造仏工来る | |||
583 | 百済より火葦北国造の子日羅を召喚す 日羅 時政について建言す | |||
584 | 百済から仏像二体が送られ、蘇我馬子仏殿を造り迎える 司馬達等(しまのたちと)の娘、出家して善信尼(ぜんしんに)となる |
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585 | 物部守屋、仏像・仏殿を焼き、焼け残りの仏像を難波堀江に捨てさせる 敏達天皇崩御 用明天皇即位する 磐余池辺双槻宮に遷都 |
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用明天皇 | 585 | |||
586 | 穴穂部皇子、炊屋姫皇后(のちの推古天皇)を襲い三輪君逆に阻まれるが、物部守屋に逆をころさせる | |||
587 | 天皇、仏法への帰依を詔する 用明天皇崩御 蘇我馬子、炊屋姫皇后を奉じて穴穂部皇子と宅部皇子をころさせる 蘇我馬子、聖徳太子らと物部守屋を滅ぼす 丁末の変(ていび) |
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祟峻天皇 | 587 | 崇峻天皇即位 聖徳太子四天王寺造立発願 |
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588 | 蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)の建設を始める 百済より仏舎利・僧・寺工ら来る 善信尼(15歳)ら3人の尼が百済に留学 |
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589 | 八坂卿に法観寺(八坂の塔)を築く 隋、中国統一 |
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591 | 任那再建をはかり遠征軍を編成 | |||
592 | 蘇我馬子、東漢直駒を使い崇俊天皇をころさせる 善信尼ら百済から帰国、豊浦寺にて仏教を広める |
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飛鳥時代 | 推古天皇 | 592 | 推古天皇 豊浦宮で 即位 | |
593 | 推古元 | 四天王寺造立を始める | ||
〜622聖徳太子、推古天皇の摂政となる 用明天皇を河内磯長陵に改葬。 |
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594 | 推古2 | 蘇我馬子や聖徳太子の勧めで推古天皇が仏教興隆の詔を出す | ||
595 | 推古3 | 太子の仏教の師、高句麗の僧恵慈が渡来 、高句麗と国交 | ||
596 | 推古4 | 法興寺(飛鳥寺)建立 | ||
599 | 推古7 | 文献に見える最古の被害地震⇒。「 |
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600 | 推古8 | 聖徳太子遣隋使を派遣初の遣隋使 新羅と任那が戦う。境部臣を大将軍として任那を助け新羅を攻撃させる |
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601 | 推古9 | 聖徳太子斑鳩宮を造営 | ||
602 | 推古10 | 来目皇子を新羅攻撃の将軍とし、軍兵2万5千を授ける 百済僧観勒来朝。暦本と天文・地理の書などを奉ずる |
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603 | 推古11 | 秦河勝、蜂岡寺(のち広隆寺)造営に着手 豊浦宮から小墾田宮に遷宮 |
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来目皇子死し 当麻皇子を征新羅将軍に任命する 新羅征討を中止 | ||||
聖徳太子官位十二階の制定 | ||||
604 | 推古12 | 聖徳太子憲法十七条の制定 | ||
605 | 推古13 | 太子、斑鳩宮に移る | ||
606 | 推古14 | 鞍作止利、丈六の仏像を造り法興寺に安置(飛鳥大仏) | ||
607 | 推古15 | 小野妹子らを遣隋に派遣、改革後「日出処の天子、書を日没する処天子に致す」の国書を持参(2度目) 隋の煬帝(ようだい)、その国書の無礼を怒る(天子という言葉に対して) 法隆寺建立 推古天皇「敬神の詔」(起草者聖徳太子) |
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608 | 推古16 | 小野妹子、隋の使者裴世清とともに帰国。裴世清、隋の国書を奏上 南渕請安、高向玄理留学生として小野妹子等と隋に遣す 妹子再び隋に赴く、高向玄理(たかむこのくろまろ)ら8人が留学僧として同行(3度目) |
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609 | 推古17 | 小野妹子帰国 | ||
613 | 推古21 | 都から難波に通じる道をひらく 太子、片岡山に飢えた人を見る |
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614 | 推古22 | 犬上君御田鋤(いぬがみきみたすき)と矢田部造(やたべみやつこ)を隋に派遣 (最後・ 翌年帰国) 蘇我馬子の病気平癒を祈るため、千人を出家させる |
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615 | 推古23 | 犬上君御田鋤と矢田部造帰国 | ||
618 | 推古26 | 隋が滅び、唐が中国を統一する | ||
620 | 推古28 | 太子と蘇我馬子、「天皇記」と「国記」、臣・連・伴造・国造・などの「本記」を記録する | ||
622 | 推古30 | 聖徳太子没(49歳)磯長陵 太子のために橘大郎女、天寿国曼荼羅を作成 |
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623 | 推古31 | 唐から留学生恵日ら帰国す。新羅攻撃を計画する | ||
624 | 推古32 | 僧正・僧都・法頭制をもうける。 | ||
626 | 推古34 | 蘇我馬子没 天智誕生 蘇我馬子死亡(75歳) 蘇我蝦夷(42?)大臣になる |
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628 | 推古36 | 推古天皇崩御、遺詔により竹田皇子の陵に葬る 皇嗣定まらず。山背大兄王を推す境部摩理勢、田村皇子(のちの舒明天皇)を推す蘇我蝦夷に殺される |
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舒明天皇 | 629 | 舒明元 | 舒明天皇即位 | |
630 | 舒明2 | 犬上御田鍬と恵日を唐に派遣、第1回遣唐使(犬上御田鍬・恵日) 舒明天皇飛鳥岡本宮に遷都 天武天皇誕生 |
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631 | 舒明3 | 百済王子・豊璋が人質として来日 | ||
632 | 舒明4 | 犬上御田鍬帰国、唐使・高表仁来日、唐の冊封を迫るが拒む、翌年1月帰国 | ||
636 | 舒明8 | 飛鳥岡本宮焼失、田中宮に遷都 | ||
637 | 舒明9 | 蝦夷の反乱を上毛野君形名が征討 | ||
638 | 舒明10 | 舒明天皇が有馬へ行幸 | ||
639 | 舒明11 | 百済宮・百済大寺を建造 舒明天皇、伊予道後温泉へ行幸 |
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640 | 舒明12 | 舒明天皇厩坂宮に滞在 南渕請安、高向玄理ら新羅経由で唐から帰国 |
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641 | 舒明13 | 山田寺建立 百済・武王の死、義慈王即位 舒明天皇百済宮で崩御、滑谷岡に葬る、中大兄皇子、殯宮で弔辞を読む |
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皇極天皇 | 642 | 皇極元 | 皇極天皇即位 小墾田宮に遷都 蘇我蝦夷を大臣とする 蝦夷の子入鹿が自ら国政を執り、権勢は父に勝る 蘇我蝦夷・入鹿が双墓(大陵・小陵)をつくる 百済大寺建立と飛鳥板蓋宮造営を詔する 蘇我蝦夷、祖.廟を葛城の高宮に建て、また民を徴発して墓を造る |
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643 | 皇極2 | 飛鳥板蓋宮に遷都 舒明天皇の墓を押坂陵に改装 蘇我蝦夷病気引退、入鹿が大臣になる 百済王族、内乱のため亡命 蘇我入鹿・巨勢臣徳多が山背大兄王とその一族を滅ぼす。王は斑鳩寺に入り自害 |
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644 | 皇極3 | 中臣鎌子(のちの藤原鎌足)、中大兄皇子と法興寺の打毬の場で接触 中大兄皇子、蘇我倉山田石川麻呂の次女遠智娘を妃とする 蘇我蝦夷・入鹿、戦備を整える。家を甘樫岡に並び建て、上の宮門と称する 東国に常世神信仰流行する。 |
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645 | 皇極4 | 中大兄皇子・中臣鎌子、蘇我入鹿を宮中(板蓋宮)で討つ(乙巳の変) 蘇我蝦夷、「天皇記」・「国記」・珍宝を全て焼き、蘇我本宗家滅亡 蘇我倉山田石川麻呂右大臣に任命される 皇極天皇譲位(初の生前譲位) 百済、新羅にかかわり任那の調を貢ず。東国国司派遣。 |
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孝徳天皇 | 645 | 大化元 | 孝徳天皇即位 中大兄皇子、皇太子となる 大化と改元する 元号⇒ 古人大兄皇子謀反、中大兄皇子が討伐させる 難波長柄豊碕宮に遷都 |
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646 | 大化2 | 大化改新の詔を発布 中大兄皇子、入部・屯倉を返上。薄葬令制定など、旧俗を改めさせる。 班田収授法を制定 僧道登、宇治橋をかける |
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647 | 大化3 | 冠位七色十三階を制定 渟足柵(ぬたりのき)を造り柵戸(きのへ)を置く |
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648 | 大化4 | 磐舟柵(いわふねのき)を造り、蝦夷に備える 金春秋が倭から唐へ入朝 日本最古の木簡(難波宮) |
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649 | 大化5 | 冠位十九階を制定 左大臣安倍内麻呂没 蘇我倉山田石川麻呂、謀反を疑われ山田寺にて自害 左大臣に巨勢徳陀古(とくだこ)、右大臣に大伴長徳 難波長柄豊崎宮(前期難波宮)の造営649年12月〜652年9月 |
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650 | 大化6 白雉元 |
瑞祥・白雉が献上され改元 | ||
651 | 白雉2 | 新羅使が唐国服を着て来日、追い返す | ||
652 | 白雉3 | 難波長柄豊碕宮完成 最初の班田収受が完了する |
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653 | 白雉4 | 吉士長丹ら第2回遣唐使2船派遣 120人 2隻 240人 僧・留学生 632年以来。 中大兄皇子が孝徳天皇と不和、皇極天皇とともに飛鳥にもどる(飛鳥河辺行宮・飛鳥稲淵宮) |
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654 | 白雉5 | 第3回遣唐使(高向玄理・定恵) 孝徳天皇、難波宮で崩御 |
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斉明天皇 | 655 | 斉明元 | 飛鳥板蓋宮で再び斉明天皇即位する(皇極天皇重祚) 飛鳥板蓋宮が焼け飛鳥川原宮に遷る 高句麗・百済・新羅使が朝貢(翌年も) |
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656 | 斉明2 | 後飛鳥岡本宮に遷都 大規模土木工事を行う 吉野宮造営 新羅使、倭国との関係断つ(668年国交再開) 飛鳥石造物(亀石・酒船石・石人像・須弥山石) |
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657 | 斎明3 | 吐火羅(とから・ペルシャ)国人、筑紫に漂着 飛鳥寺の西に須弥山(しゅみせん)の像をつくり、盂蘭盆会(うらぼんえ)を設ける |
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658 | 斉明4 | 有馬皇子謀反の疑いで処刑 阿倍比羅夫(あべのひらふ)、東北の蝦夷攻撃 服従した蝦夷200人余を饗応(石神遺跡) |
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659 | 斎明5 | 坂合部石布ら第4次遣唐使を派遣 阿倍比羅夫が第2回日本海岸の蝦夷遠征(200隻) |
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660 | 斉明6 | 百済が唐・新羅の連合軍に滅ぼされる(扶余陥落) 百済の鬼室福信(きしつふくしん)、救援と人質の王子の返還を要請 斎明天皇、難波宮に移って百済救援の準備 中大兄皇子、漏刻をつくる 阿倍比羅夫が第3回日本海岸の蝦夷遠征(200隻) |
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661 | 斉明7 | 斎明天皇、中大兄皇子、大海人皇子、百済救援で筑紫に向かう 斎明天皇、朝倉宮で崩御、斉明の遺体を筑紫から飛鳥へ運び岩屋古墳(667年牽牛子塚古墳へ改装)、天智は飛鳥滞在 天智称政 中大兄皇子が政権を引き継ぐ 余豊璋が百済へ帰国(631年来日)、日本人妻と5000兵を付ける |
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天智天皇 | 662 | 天智元 | 百済王子を帰国させる 第1次遠征軍を百済に送る |
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663 | 天智2 | 第2次遠征軍を送る 白村江の戦いで大敗する、日本・百済の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い、この年百済滅亡 百済・豊璋は高句麗へ逃げる 山田寺の塔を構える |
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664 | 天智3 | 冠位二十六階を制定、氏上・民部・家部の制を定める(甲子の改革) 対馬・壱岐・筑紫などに防人を置き、水城を築く 唐使郭務?ら来る 蘇我連子没 |
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665 | 天智4 | 間人皇女(38歳・孝徳妃)が崩御、672年斉明と合葬(牽牛子塚古墳) 百済人に冠位を賜与する 、百済の貴族・男女400人を近江国神崎郡に住まわせる 大野城・基肄きい城・長門城:滅亡百済人軍事技術者、朝鮮式山城 唐使劉徳高ら来る。守大石ら第5次遣唐使 筑紫に城を築く |
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666 | 天智5 | 百済の男女2000人を東国に移住させる、663年から3年間は官から食料支給 | ||
667 | 天智6 | 近江大津宮に遷都、天下の人民喜ばず、昼夜となく出火 斉明天皇と間人皇女を合葬する(牽牛子塚古墳)、大田皇女(越塚古墳) 倭に高安城(大和)、八嶋城(讃岐)、金田城(対馬)に城を築く |
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668 | 天智7 | 中大兄皇子即位、天智天皇 崇福寺を建立 大海人皇子、皇太子となる 唐・新羅連合軍、高句麗を滅ぼす |
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669 | 天智8 | 新羅が高句麗を滅ぼして朝鮮半島を統一する 河内鯨ら第6次遣唐使 中臣鎌足に大織冠と大臣の位、藤原姓を授ける 中臣鎌足翌日没 |
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670 | 天智9 | 「新唐書」に倭国が日本と号したと記された 全国的に戸籍作成 庚午年籍作成 斑鳩寺(法隆寺)火災で消失 |
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弘文天皇 | 671 | 天智10 | 大友皇子太政大臣とす、蘇我赤兄を左大臣、中臣金を右大臣とする 蘇我果安、御史大夫に就任 大海人皇子(天武天皇)出家し吉野へ入る 天智天皇、近江宮で崩御 山科に天智天皇稜をつくる 冠位法度施行。 |
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天武天皇 | 672 | 弘文元 天武元 |
6/24 大海人皇子、吉野を脱出し菟田を経て東国へ。壬申の乱おこる、簒奪王権 蘇我果安自尽、蘇我赤兄を配流 6/26 迹太川で天照大神を遥拝する 6/27 不破に入り野上に行宮(かりみや)を営む 6/29 大伴連吹負(ふけい)、飛鳥で挙兵し勝利をおさめ、将軍に任じられる 7/4 将軍吹負、乃楽山(ならやま)で近江軍に敗れ退却 7/7 村国連男依(おより)ら、息長の横河で近江軍を破る 7/22 男依ら、瀬田に到着、大友皇子・左右大臣ら敗走 将軍吹負、倭の地を完全に平定 7/23 男依ら、近江の将犬養連五十君・谷直塩手を粟津市で斬る 大友皇子、逃げるところなく山前(やまさき)で自害(弘文天皇第39代、(明治3年追諡) 9月 大海人皇子、倭に帰り着く 岡本の宮の南に飛鳥浄御原宮を造り遷る(都を飛鳥に戻す) |
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673 | 天武2 | 大海人皇子飛鳥浄御原で2月即位、天武天皇 3月受命儀式 皇位の正当化「孝徳記」白雉元年条 | ||
674 | 天武3 | 大伯(大来)皇女伊勢斎王とする 賀茂御祖神社(下鴨神社)造営開始(〜677) |
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675 | 天武4 | 初めて占星台を建てる 諸氏の部曲(かきべ)を廃止 風神を竜田に、大忌神を広瀬に祀る |
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677 | 天武6 | 飛鳥寺で盛大な斎会を催す 賀茂別雷神社(上賀茂神社)造営開始(〜678) 高市大寺を大官大寺と改める 詔を出す |
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678 | 天武7 | 十市皇女、斎宮(いつきのみや)に赴く日の朝に宮中で急逝する 中国西安で見つかった墓誌に「日本」の文字があった この頃に藤原不比等と蘇我娼子が婚姻か。 山田寺丈六仏像を鋳造する |
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679 | 天武8 | 吉野宮に行幸し、六人の皇子と皇后を集め、争わぬよう盟約させる 、難波に羅城を築く | ||
680 | 天武9 | 皇后の病気平癒を祈願して、天武天皇が本薬師寺建立をはじめる | ||
681 | 天武10 | 草壁皇子皇太子となる 天皇・皇后、律令を定め法令を改めることを詔する 川島皇子らに歴史書の編纂を命じる 帝紀、上古諸事編纂作業開始 禁式九十二条を制定し、親王から庶民までの服装を規定する |
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683 | 天武12 | 1月 天命による総括(天命の加護) 「天武紀」12年条 冨本銭使用令 |
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684 | 天武13 | 八色(やくさ)の姓(かばね)を定める 天武天皇、京師を巡行して宮室の地を定める 諸国の境界を定める 白鳳南海地震⇒ 白鳳南海地震以降、奈良盆地南部は8回以上南海トラフト地震を経験している |
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685 | 天武14 | 天武天皇、白錦後苑に行幸する | ||
686 | 天武15 朱鳥元 |
難波宮、大蔵省から失火 天武天皇、病に倒れる 百人の僧侶に宮中で「金光明経」をよませる 朱鳥(あかみとり)に改元 天皇のために観世音薩像を造り大官大寺で「観世音経」を説かせる 親王以下諸臣、川原寺で天皇の病気平癒を請願する 天武天皇崩御 55歳前後 |
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持統天皇 | 686 | 朱鳥元 | 皇后が政権を引き継ぐ 殯宮を建て、南庭に殯する 大津皇子、謀反の罪で捕らえられ自害する 24歳 天武天皇のために大官大寺など五つの寺で無遮大会(むしゃだいえ)を催す(大官寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺、坂田寺) 近江園城寺(三井寺)が創建される 大蔵省から失火、宮室全焼 |
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687 | 持統元 | 飛鳥寺にて3百人の僧に袈裟を贈る | ||
688 | 持統2 | 天武天皇を大内陵に葬る | ||
689 | 持統3 | 草壁皇子没する 28歳 飛鳥浄御原令頒布 |
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690 | 持統4 | 持統天皇即位 近江崇福寺行幸、天智を供養か 官人の朝服の制を定める 戸籍、「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」を作らせる |
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691 | 持統5 | 藤原京(新益京・しんやくのみやこ)の鎮祭をおこなう 川嶋皇子(天智の皇子)没する 35歳 |
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692 | 持統6 | 親王以下全ての有位官人に難波大蔵の鍬を賜る | ||
694 | 持統8 | 藤原京に遷都。このころ柿本人麻呂の作歌活動盛ん 高松塚古墳作られる 火葬墓の出現 |
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696 | 持統10 | 高市皇子没する 43歳 | ||
文武天皇 | 697 | 持統11 文武元 |
公卿・百寮、仏像の開眼の法令を薬師寺で催す 文武天皇即位する、持統太上天皇となる |
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698 | 文武2 | 本薬師寺完成 698〜700年諸国から顔料の献上 | ||
699 | 文武3 | 弓削皇子没する 他新田部皇女、大江皇女、坂合部皇女、日向王、春日王ら没する | ||
701 | 文武5 大宝元 |
大宝律令成る――― 七道と駅道⇒⇒⇒ 松尾神社を造営 大宝令に「天皇」の称号登場 |
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702 | 大宝2 | 持統太上天皇崩御 57歳 | ||
704 | 大宝4 慶雲元 |
真応、成相寺をつくると伝える(宮津市) | ||
705 | 慶運2 | 刑部皇子没する 47歳 | ||
元明天皇 | 707 | 慶雲4 | 文武天皇崩御 25歳 元明天皇即位 |
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奈良時代 | 710 | 和銅3 | 平城京に遷都 和銅銀銭を発行 このころ柿本人麻呂没する |
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711 | 和銅4 | 秦伊呂具、稲荷神社を造営 | ||
712 | 和銅5 | 太安万呂「古事記」を撰上する | ||
713 | 和銅6 | 丹後国をおく。相楽郡瓶原離宮造営 | ||
元正天皇 | 715 | 霊亀元 | 元正天皇即位する | |
718 | 養老2 | 藤原不比等、養老律令の選修 | ||
720 | 養老4 | 舎人親王「日本書紀」撰上する 隼人反乱する |
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723 | 養老7 | 三世一身法発布 | ||
聖武天皇 | 724 | 神亀元 | 聖武天皇即位 | |
726 | 神亀3 | 行基、山崎橋をつくるという。愛宕郡出雲卿の記帳できる | ||
727 | 神亀4 | 渤海使が入京し国交が開かれる | ||
729 | 天平元 | 長屋王謀反の嫌疑で自害する | ||
734 | 天平6 | 震源・規模不明 震度6弱(大和)⇒
「地大きに震りて、天下の百姓の盧舎を攘(こぼ)つ。圧死せる者多し,山崩れ川塞ぎ、地往々にしてひらけ裂くること、 |
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735 | 天平7 | 疫病九州で発生 | ||
740 | 天平12 | 藤原弘嗣の乱起こる 恭仁京造営の詔、翌年聖武天皇月宮大極殿で朝賀をうける(745年国分寺に施入) |
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741 | 天平13 | 諸国に国分寺・国分尼寺建立の勅 | ||
742 | 天平14 | 紫香楽宮遷都 | ||
743 | 天平15 | 大仏建立詔。墾田永年私財法の発布 | ||
744 | 天平16 | 難波京に遷都 | ||
745 | 天平17 | 紫香楽宮遷都。平城京に遷都 | ||
孝謙天皇 | 749 | 天平勝宝元 | 孝謙天皇即位 陸奥国より黄金がでる |
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752 | 天平勝宝4 | 東大寺大仏開眼供養 | ||
754 | 天平勝宝6 | 遣唐副使大伴古麻呂が鑑真ら8人を伴って帰国 | ||
757 | 天平勝宝9 | 橘奈良麻呂の変 | ||
淳仁天皇 | 758 | 天平宝字2 | 淳仁天皇即位。孝謙天皇は上皇に | |
759 | 天平宝字3 | 鑑真が唐招提寺を建立 | ||
761 | 天平宝字5 | 平城京改作のため、保良宮に遷り、「北京」とする。 ここで孝謙上皇が病気になり、道鏡が看病 |
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762 | 天平宝字6 | 孝謙上皇と淳仁天皇が対立、孝謙上皇は保良宮を出て、法華寺に入って出家。 「国家の大事と賞罰」権の掌握を宣言 近江に石山寺が建立 |
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称徳天皇 | 764 | 天平宝字8 | 藤原仲麻呂の乱。淳仁天皇を廃し、孝謙天皇即位する(称徳天皇重祚) 道鏡が大臣禅師に |
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765 | 天平神護元 | 西大寺が建立 道鏡法王に |
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769 | 神護景雲3 | 宇佐八幡宮神託事件。称徳天皇が由義宮に行幸。 由義宮を西京に、河内国を河内職とする |
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光仁天皇 | 770 | 宝亀元 | 道鏡、造下野薬師寺別当に左遷 光仁天皇即位 万葉集成る |
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桓武天皇 | 781 | 天応元 | 桓武天皇即位 | |
784 | 延暦3 | 都を長岡に遷都(長岡京、〜794) | ||
785 | 延暦4 | 早良親王が廃される | ||
788 | 延暦7 | 最澄、比叡山寺(のち延暦寺)を造営 | ||
平安時代 | 794 | 延暦13 | 平安京に遷都。長岡から都を葛野郡に遷し、山背を山城とし、新郡を平安京とする | |
796 | 延暦15 | 京に東寺、西寺、鞍馬寺が建立 | ||
800 | 延暦19 | 富士山が噴火 | ||
804 | 延暦23 | 坂上田村麻呂、清水寺創建(〜805) | ||
805 | 延暦24 | 最澄帰朝し、天台宗(延暦寺)を開く | ||
806 | 延暦25 | 桓武天皇崩御 | ||
平城天皇 | 806 | 大同元 | 平城天皇即位 空海帰朝し、真言宗(東寺)を開く |
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807 | 大同2 | 桑、漆の栽培が奨励される | ||
809 | 大同4 | 平城天皇病弱のため、嵯峨天皇に譲位、太上天皇となる | ||
嵯峨天皇 | 809 | 大同4 | 嵯峨天皇即位 | |
811 | 弘仁2 | 弘仁新羅の賊 | ||
816 | 弘仁6 | 京の治安強化のため検非違使を設置 | ||
818 | 弘仁7 | 関東諸国地震⇒ | ||
819 | 弘仁9 | 空海が高野山に金剛峰寺を建立 | ||
823 | 弘仁14 | 空海に東寺を与える | ||
824 | 天長元 | 防鴨河使をおく | ||
827 | 天長4 | 延暦寺に戒壇院建立 | ||
828 | 天長5 | 空海、綜芸智院を建立 | ||
829 | 天長6 | 高岳親王(真如法親王)加佐郡鹿原に金剛院設立 | ||
830 | 天長7 | 出羽国地震⇒ | ||
841 | 承和8 | 信濃国、伊豆地震⇒ | ||
842 | 承和9 | 承和の変 渤海使が入京する |
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850 | 嘉祥3 | 出羽国地震⇒ | ||
855 | 斉衡2 | 度々の地震東大寺の大仏の首が落ちた | ||
856 | 斉衡3 | 法綸寺建立(のち遊仙寺→泉湧寺) | ||
857 | 天安元 | 藤原良房が人臣として初めて太政大臣となる | ||
858 | 天安2 | 藤原良房摂政となる | ||
859 | 貞観元 | 京都に吉田神社創始、男山に石清水八幡宮創建 | ||
863 | 貞観5 | 御霊神社創建、永観堂禅林寺創建 越中・越後国地震⇒ | ||
866 | 貞観8 | 応天門の変 | ||
868 | 貞観10 | 播磨国地震(山崎断層震源地)⇒ | ||
869 | 貞観11 | 貞観地震⇒(陸奥国・M8.6) 貞観の入寇 |
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876 | 貞観18 | 嵯峨院を大覚寺とする | ||
878 | 元慶2 | 関東諸国地震⇒ | ||
880 | 元慶4 | 出雲国地震⇒ | ||
887 | 仁和3 | 藤原基経、関白となる。 仁和寺創建(904年宇多法皇御室建立) 仁和地震⇒(M8.0〜8.5・南海トラフを震源とする) | ||
893 | 寛平5 | 寛平の韓寇 | ||
894 | 寛平6 | 遣唐使を廃止 | ||
901 | 延喜元 | 菅原道真が太宰府に左遷される | ||
905 | 延喜5 | 醍醐天皇が紀貫之らに古今和歌集の編集を命じる | ||
906 | 延喜6 | 延喜新羅の賊 | ||
907 | 延喜7 | 延喜式成立 | ||
913 | 延喜13 | 京都付近大風、洛中大火 | ||
927 | 延長5 | 延喜格式の撰上 | ||
929 | 延長7 | 竹野郡大津浜(間人)に渤海の船着く | ||
935 | 承平5 | 平将門がおじの平国香をさつ害(承平、天慶の乱はじまる〜941) | ||
938 | 天慶元 | 空也、洛中で念仏を唱え庶民を教化する | ||
939 | 天慶2 | 天慶の乱、平将門叛く | ||
947 | 天暦元 | 北野に菅原道真を祀る(北野天満宮) | ||
952 | 天暦5 | 醍醐寺五重塔供養 | ||
960 | 天徳4 | 内裏焼亡(平安遷都後最初) | ||
961 | 天徳5 | 在原業平を主人公とする伊勢物語が成立 | ||
970 | 天禄元 | 初めて祇園御霊会を行う | ||
976 | 貞元元 | 円融天皇が堀河第に移る(里内裏の初め) 京都大地震 |
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980 | 天元3 | 良源が延暦寺根本中堂の再建供養をする | ||
985 | 寛和元 | 源信「往生要集」を著す | ||
986 | 寛和2 | 花山天皇が藤原兼家に欺かれて出家する | ||
987 | 永延元 | 斉然、清涼寺(嵯峨釈迦堂)を創建 | ||
993 | 延暦4 | 故菅原道真に左大臣正一位を追贈する | ||
995 | 長徳元 | 京に疫病が大流行、関白藤原道兼も倒れる | ||
997 | 長徳3 | 長徳の入寇 | ||
1000頃 | 長保2 | 清少納言の枕草子完成 | ||
1005 | 寛弘2 | 木幡三昧堂(浄妙寺)落慶 | ||
1008頃 | 寛弘5 | 紫式部の源氏物語が完成 | ||
1016 | 長和5 | 〜27藤原道長全盛 | ||
1017 | 寛仁元 | 丹波国の百姓、国守藤原頼任を訴える | ||
1018 | 寛仁2 | 藤原道長が天皇(後一条)の外戚として栄華を極める | ||
1019 | 寛仁3 | 藤原道長出家し、法成寺創建(1058年焼失) 刀伊の入寇 |
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1020 | 寛仁4 | 菅原孝標(上総守)の娘が更級日記を書き始める | ||
1028 | 万寿5 | 平忠常の乱 | ||
1031 | 長元4 | 藤原頼道が興福寺五重塔と金堂を落慶供養する | ||
1035 | 長元8 | 園城寺に延暦寺の僧は赴き乱闘となる | ||
1038 | 長暦2 | 延暦寺僧徒、座主問題で強訴 | ||
1043 | 長久4 | 諸国大干魃に見舞われ神泉園で雨乞い祈祷 | ||
1045 | 寛徳2 | 荘園整理令 | ||
1048 | 永承3 | 日野法界寺創建 | ||
1051 | 永承6 | 前九年の役 | ||
1052 | 永承7 | 藤原頼道、宇治の別荘を寺とす(平等院) | ||
1053 | 天喜元 | 平等院鳳凰堂成る | ||
1054 | 天喜2 | 安倍貞任が陸奥守源頼義の兵営を襲撃する | ||
1064 | 康平7 | 広隆寺日光菩薩像、月光菩薩像ができる | ||
1070 | 延久2 | 京都府南部地震⇒M6.0〜6.5 | ||
1077 | 承暦元 | 法勝寺の落慶供養が行われる(六勝寺の最初) | ||
1083 | 永保3 | 後三年の役 | ||
1086 | 応徳3 | 院政始まる. 白河天皇が洛南の鳥羽殿と呼ばれる離宮を造営 |
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1090 | 寛治4 | 聖護院創建 | ||
1096 | 永長元 | 鼓・笛・太鼓などに合わせ田楽踊りが京中田楽大流行 嘉保東海地震⇒ |
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1099 | 承徳3 | 承徳南海地震⇒ | ||
1102 | 康和4 | 興福寺宗徒蜂起し、宇治橋を焼き防戦、翌1103年強訴、興福寺と東大寺の僧徒が争う | ||
1107 | 嘉承2 | 浄瑠璃寺の本堂が完成する | ||
1108 | 天仁元 | 浅間山天仁噴火 | ||
1111 | 天永2 | 今昔物語が完成する | ||
1116 | 永久4 | 白河法皇が熊野詣 | ||
1124 | 天治元 | 中尊寺金色堂成る。初めて祇園臨時祭りを行う | ||
1129 | 大治4 | 白河法皇がなくなり鳥羽院政が始まる | ||
1131 | 天承元 | 藤原氏の栄華を描いた歴史物語大鏡が完成 | ||
1132 | 長承元 | 平忠盛得長寿院建立 | ||
1135 | 保延元 | 「問丸」初見 | ||
1137 | 保延3 | 安楽寿院建立 | ||
1142 | 永治2 | 初めて四条橋をつくる | ||
1149 | 久安5 | 六勝寺の一つ延勝寺が落慶供養 | ||
1155 | 久寿2 | 平清盛が厳島神社社殿を修復する | ||
1156 | 保元元 | 保元の乱 | ||
1159 | 平治元 | 平治の乱 | ||
1164 | 長寛2 | 後白河上皇が清盛に造営させた三十三間堂落慶、蓮華王院本堂 | ||
1167 | 仁安2 | 平清盛、太政大臣となる | ||
1171 | 嘉応元 | 清盛の娘徳子が高倉天皇のもとへ入内する | ||
1175 | 安元元 | 法然、浄土宗(知恩院)を開く | ||
1177 | 治承元 | 京都大火(太郎焼亡) 奈良県地震⇒ |
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1178 | 治承2 | 京都大火(次郎焼亡) | ||
1179 | 治承3 | 平重盛、丹波国司となる | ||
1180 | 治承4 | 以仁王・源頼政挙兵。6月平安京を廃し福原に遷都、11月遷都。平氏の南都焼き打ち | ||
1182 | 寿永元 | 京中飢饉、餓死続出、盗犯・火事頻発 | ||
1183 | 寿永3 | 平氏都落ち、木曽義仲入京 | ||
1185 | 文治元 | 平氏滅ぶ、守護・地頭を設置 京都府南部地震⇒ |
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1190 | 建久元 | 源頼朝初めて入洛 | ||
1191 | 建久2 | 栄西、禅宗を伝う | ||
鎌倉時代 | 1192 | 建久3 | 源頼朝、鎌倉幕府を開く。土肥実平、丹波守護となる | |
1194 | 建久5 | 延暦寺僧徒らの訴で栄西の禅宗布教禁止 | ||
1198 | 建久9 | 粟生光明寺創建 | ||
1202 | 建仁2 | 栄西、建仁寺創建 | ||
1205 | 元久2 | 「新古今和歌集」 | ||
1207 | 承元元 | 専修念仏を禁じ法然・親鸞流罪(承元の法難) | ||
1212 | 建歴2 | 鴨長明方丈記を著す | ||
1216 | 建保4 | 鴨長明死 | ||
1219 | 承久元 | 源氏滅び、北条氏執権 | ||
1221 | 承久3 | 承久の変、幕府方が圧勝、六波羅探題を設置 | ||
1222 | 承久4 | 平家物語が完成 | ||
1227 | 安貞元 | 大報恩寺(千本釈迦堂)本堂落成 | ||
1232 | 貞永元 | 御成敗式目を制定(貞永式目) | ||
1233 | 天福元 | 道元、深草に興聖寺創建 | ||
1235 | 嘉禎元 | 九条道家、東福寺建立 藤原定家が名歌百選を選ぶ(百人一首の原形) |
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1243 | 寛元元 | 円爾弁円、東福寺住職となる | ||
1253 | 建長5 | 日蓮、法華宗を開く | ||
1272 | 文永9 | 覚信尼、親鸞の墓を東大谷に移し本願寺建立 | ||
1274 | 文永11 | 文永の役(元軍博多に来襲) | ||
1281 | 弘安4 | 弘安の役(元軍博多に来襲) | ||
1286 | 弘安9 | 叡尊、宇治橋を再建し、浮島に十三重塔を建立 | ||
1291 | 正応4 | 亀山上皇、離宮南禅院を営みその一部を大明国師に与える(南禅寺の起源) | ||
1293 | 永仁元 | 大江修理亮、丹後守護となる。三浦半島地震。 | ||
1297 | 永仁5 | 永仁の徳政令(永仁の徳政令) |
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1317 | 文保元 | 文保の和議(両皇統送立) | ||
1319 | 元応元 | 紫野に大徳寺建立 | ||
1321 | 元享元 | 後醍醐天皇、院政を廃し記録所設置 | ||
1331 | 元弘元 | 元弘の乱起る。後醍醐天皇京都を逃れ、鷲峰山を経て笠置山にこもる。 笠置山焼失、天皇隠岐へ配流。光厳天皇即位(北朝) |
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1333 | 元弘3 | 鎌倉幕府滅ぶ。後醍醐天皇隠岐脱出。足利尊氏丹波で挙兵、六波羅攻撃。 光厳天皇退位 |
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1334 | 建武元 | 建武の中興 | ||
(南北朝時代) | 1336 | 延元元/建武3 | 足利尊氏による光明天皇の践酢、後醍醐天皇吉野遷幸、朝廷分裂 | |
室町時代 | 1338 | 暦応元 | 足利尊氏、室町幕府を開く、男山の合戦、尊氏征夷大将軍となる | |
1339 | 暦応2 | 細川頼春勝竜寺城を築く。尊氏暦応寺を建立(1341天竜寺と改称) | ||
1341 | 暦応4 | 幕府、天竜寺船派遣 | ||
1342 | 康永元 | 幕府五山十刹の制を定める | ||
1349 | 貞和5 | 足利尊氏、鎌倉公方となる | ||
1353 | 文和3、正平8 | 近江土一揆。北畠親房死 | ||
1361 | 正平16、康安元 | 地震(正平南海地震)⇒ | ||
1362 | 貞治元 | 山名時氏・足利直冬軍、丹波で足利義詮軍と戦う | ||
1365 | 貞治4 | 那珂宗泰、丹波に天寧寺建立 | ||
1372 | 応安5 | 観阿弥清次、京都に進出醍醐寺で演能 | ||
1378 | 永和4 | 足利義満室町新邸(花の御所)に移る | ||
1382 | 永徳2 | 相国寺上棟 | ||
1385 | 至徳2 | 山名氏清、山城守護となる | ||
1391 | 明徳2 | 山名氏清謀反、京都に迫り敗る(明徳の乱) | ||
1392 | 明徳3、元中9 | 南北朝の統一。一色満範、丹後守護となる。 | ||
1394 | 応永元 | 結城満藤、山城守護となる。足利義満、将軍職を子・義持に譲る。 | ||
1397 | 応永4 | 足利義満、北山邸(金閣)上棟、翌年義満移る。 | ||
1399 | 応永6 | 京極高詮、山城守護となる。相国寺七重塔が完成し、義満が落慶法要に臨む | ||
1401 | 応永8 | 足利義満が中国・明に使者を送る。その後、対明貿易を始める。 | ||
1403 | 応永10 | 相国寺七重大塔が落雷で炎上 | ||
1404 | 応永11 | 勘合貿易の初め。大塔を北山殿に再建するため立柱の儀式を行う | ||
1406 | 応永13 | 山城に段銭を課す | ||
1408 | 応永15 | 義満死去 | ||
1416 | 応永23 | 北山大塔が落雷で焼失 | ||
1426 | 応永33 | 近江坂本の馬借一揆 | ||
1428 | 正長元 | 山城の卿民徳政を要求蜂起(正長の土一揆) | ||
1429 | 正長2 | 丹波に土一揆 | ||
1431 | 永亨3 | 明兆死 | ||
1441 | 嘉吉元 | 嘉吉の変(播磨守護赤松満祐が将軍足利義教を殺害) | ||
1447 | 文安4 | 山城西岡土一揆徳政を要求し京に乱入 | ||
1450 | 宝徳2 | 細川勝元、竜安寺を創建 | ||
1454 | 享徳3 | 山城徳政一揆 | ||
1457 | 長禄元 | 太田道灌、江戸城を築く。蓮如、法灯を継ぐ | ||
1459 | 長禄3 | 幕府新関を京都7口におき関銭徴収 | ||
1461 | 寛正2 | 飢餓・疫病で洛中死者多数 | ||
1462 | 寛正3 | 池坊専慶、佐々木高秀邸で立花を行う。多賀高忠、所司代となる | ||
1464 | 寛正5 | 音阿弥、糺河原で勧進猿楽を行う | ||
1467 | 応仁元 | 応仁の乱起る | ||
1469 | 応仁3 | 足利義政、武田信賢を丹後守護とし、一色・武田両氏の丹後争奪戦始まる | ||
1474 | 文明6 | 一休宗純、大徳寺住職となる | ||
1477 | 文明9 | 応仁文明の乱終わる | ||
1480 | 文明12 | 山科に本願寺建立 | ||
1482 | 文明14 | 足利義政、東山山荘(銀閣)に移る | ||
1485 | 文明17 | 山城国一揆起る、翌年平等院で会合 | ||
1487 | 長享元 | 乙訓郡国一揆起る | ||
1488 | 長享2 | 加賀一向一揆起る | ||
1489 | 延徳元 | 足利義政、銀閣完成。下京大火 | ||
1490 | 延徳2 | 丹波で荻野・大槻氏が守護代上原氏に背く | ||
1491 | 延徳3 | 北条早雲、伊豆に拠る | ||
1493 | 明応2 | 山城国一揆崩壊、山城で仏踊流行 豊臣秀吉により、初めて地震とナマズが結びつけられる⇒ |
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1494 | 明応3 | 下京大火 奈良県地震⇒ |
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1495 | 明応4 | 相模湾沿岸大津波 | ||
1498 | 明応7 | 丹後守護一色義秀、普甲峠で国人に攻められ自殺。明応東海地震⇒(南海トラフの巨大地震) | ||
1499 | 明応8 | 竜安寺庭園完成 | ||
1500 | 明応9 | 上京大火。祇園会、応仁の乱後復活 | ||
1501 | 文亀元 | 武田元信丹後守護に任ぜられ、一色義道と加佐郡に戦い、義道石川城に逃れる | ||
1506 | 永正3 | 雪舟死。幕府、京中の踊り禁止。細川澄之、丹後賀屋城を攻め、武田元信を助け、 元信は一色義有を攻める |
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1511 | 永正8 | 船岡山の戦い。 | ||
1512 | 永正9 | 永正津波(えいしょう)⇒ | ||
1528 | 享禄元 | 幕府、大舎人座の直売禁止。この頃下京に茶の湯流行 | ||
1532 | 天文元 | 法華一揆起る | ||
1536 | 天文5 | 天文法華の乱起る | ||
1542 | 天文11 | 法華21カ寺に洛中還住を勅許 | ||
1543 | 天文12 | 種子島に鉄砲伝来 | ||
1549 | 天文18 | ザビエル、キリスト教を伝う | ||
1551 | 天文20 | ザビエル入京 | ||
1552 | 天文21 | 三好長慶、洛中を支配 | ||
1555 | 弘治元 | 川中島の戦い | ||
1558 | 永禄元 | 一色義道、丹後守護となる | ||
1559 | 永禄2 | 織田信長入京 | ||
1560 | 永禄3 | 桶狭間の戦い。キリスト教布教 | ||
1568 | 永禄11 | 織田信長、将軍義昭を擁し入京 | ||
1571 | 元亀2 | 信長、比叡山焼討ち | ||
1573 | 天正元 | 信長上京焼討ち、信長、槇島城に将軍義昭を攻める(室町幕府滅亡) | ||
安土・桃山時代 (織豊時代) |
1576 | 天正4 | 京都南蛮寺、献堂式挙行 | |
1577 | 天正5 | 明智光秀、丹波の内藤氏を攻める | ||
1578 | 天正8 | 光秀丹波を、細川藤孝(幽斉)丹後を攻める | ||
1579 | 天正9 | 楽長十郎、千利休の指導で作陶(楽焼) | ||
1582 | 天正10 | 九州の少年使節渡欧。本能寺の変。山崎の合戦。一色義有、宮津城で細川親子に謀殺される(一色氏滅亡) | ||
1583 | 天正11 | この頃細川藤孝田辺城を築く | ||
1585 | 天正13 | 豊臣秀吉、関白となる | ||
1586 | 天正14 | 秀吉、東山に方広寺を建て大仏を鋳造。天正大地震。 | ||
1587 | 天正15 | 秀吉、北野大茶会を催す | ||
1590 | 天正18 | 豊臣秀吉の全国統一。寺町をつくる(翌年御土居をつくる)。三条大橋完成 | ||
1591 | 天正19 | 小早川秀秋、亀山城主となる。利休自刃 | ||
1592 | 文禄元 | 文禄の役 | ||
1594 | 文禄3 | 秀吉淀川堤築造開始、石川五右衛門処刑 | ||
1595 | 文禄4 | 秀次自害、聚楽第破却。前田玄以、亀山城主となり、検地実施 | ||
1596 | 慶長元 | 伏見に大地震⇒(慶長伏見地震)、伏見城大破 | ||
1597 | 慶長2 | 慶長の役 | ||
1598 | 慶長3 | 秀吉、醍醐の花見。秀吉8月伏見城で没す | ||
1600 | 慶長5 | 関が原の戦い。伏見城陥落。西軍田辺城攻囲 | ||
1601 | 慶長6 | 京都に所司代設置。板倉勝重任命。伏見に銀座設置。伏見に円光寺創建 | ||
1602 | 慶長7 | 教如、東本願寺建立(東西本願寺分立)。徳川家康二条城造営、伏見城再建、 | ||
江戸時代 | 1603 | 慶長8 | 徳川家康、征夷大将軍となる(二条城で宣下) 江戸幕府を開く 出雲阿国ら歌舞伎踊始める |
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1604 | 慶長9 | 角倉了以安南に渡航 | ||
1605 | 慶長10 | 慶長地震M7.9 | ||
1606 | 慶長11 | 幕府、禁裏・仙洞御所造営、角倉了以大堰川を開削 | ||
1607 | 慶長12 | 松平忠勝、伏見城代となる | ||
1608 | 慶長13 | 遊女歌舞伎、四条河原に進出 | ||
1609 | 慶長14 | 岡部長盛、亀山城主となる | ||
1610 | 慶長15 | 京都商人田中勝助らメキシコへ渡航 | ||
1611 | 慶長16 | 角倉了以、高瀬川開削着手。伏見銀座を京都へ移す。方広寺大仏殿再建。慶長三陸地震。 | ||
1613 | 慶長18 | 丹波で有馬検地。 | ||
1615 | 元和元 | 大坂夏の陣,武家諸法度・禁中並公家諸法度を制定。豊臣家滅亡 | ||
1619 | 元和5 | 伏見城破却 | ||
1620 | 元和6 | 桂離宮の普請開始。 | ||
1621 | 元和7 | 松平忠重、亀山藩主となり、前藩主岡部長盛は福知山藩主となる | ||
1622 | 元和8 | 宮津藩主京極高知没し、高広後を継ぎ、高知3男高三は田辺藩主、養子高道は峰山藩主となる | ||
1623 | 元和9 | 松平定綱、淀城を創建、淀藩主となる | ||
1624 | 寛永元 | 日光東照宮陽明門成る。東山に高台寺創建。稲葉紀道、福知山藩主となる | ||
1627 | 寛永4 | 紫衣事件起こる | ||
1634 | 寛永11 | 家光上洛。この年洛中人口約41万。菅原定芳、亀山藩主となる | ||
1635 | 寛永12 | 参覲交代制の確立。鎖国令 | ||
1637 | 寛永14 | 島原の乱 | ||
1639 | 寛永16 | 鎖国 | ||
1640 | 寛永17 | 六条三筋町遊郭、朱雀野に移る(のちの島原遊郭) | ||
1643 | 寛永20 | 田畑永代売買の禁 | ||
1644 | 正保元 | 東寺五重塔再建 | ||
1646 | 正保3 | 江岑宗左、千宗旦より家督相続(表千家)、宗旦は今日庵を建て隠居(裏千家 | ||
1647 | 正保4 | この頃粟田焼開始 | ||
1648 | 正保5 | 松平忠春、亀山藩主となる | ||
1649 | 慶安2 | 慶安の御触書 | ||
1650 | 慶安3 | この頃仁清仁和寺門前で製陶(御室焼)、福知山大洪水(福知山流) | ||
1651 | 慶安4 | この頃西陣でビロードを織りだす | ||
1653 | 承応2 | 京都秤座神氏に西国33カ国の秤支配権付与 | ||
1655 | 明暦元 | 桂離宮造営開始。当時酒造株596・伏見283 | ||
1657 | 明暦3 | 江戸明暦の大火 | ||
1659 | 万治2 | 万福寺開創許可(1661開創) | ||
1661 | 寛文元 | 京都大火 | ||
1662 | 寛文2 | この頃大文字送り火始まる 寛文近江若狭地震 | ||
1673 | 延宝元 | 分地制限令。三井高利、越後屋呉服店江戸に開業(現三越) | ||
1677 | 延宝5 | 延宝房総沖地震(M8.3以上、津波17m) | ||
1680 | 延宝8 | 8月6日江戸時代最大の台風 | ||
1687 | 貞享4 | 生類憐れみの令 | ||
1688 | 元禄元 | 元禄時代 | ||
1693 | 元禄6 | 井原西鶴死 | ||
1694 | 元禄7 | 松尾芭蕉死、菱川師宣死。1647(応仁元)以来中絶の賀茂祭再興 | ||
1696 | 元禄7 | 伏見奉行廃止。この頃西陣大機業地化 | ||
1698 | 元禄11 | 宇治大火。伏見奉行復活 | ||
1702 | 元禄15 | 赤穂浪士討の入り。友禅染盛行 | ||
1703 | 元禄16 | 相模トラフ巨大地震 元禄関東地震M8.2 | ||
1707 | 宝永4 | 南海トラフを震源とする宝永地震⇒(M8.6、津波3.6m)、富士山宝永噴火 | ||
1708 | 宝永5 | 三条油小路から出火、京都中心部罹災。宇治田原で煎茶栽培始まる | ||
1709 | 宝永6 | 新井白石を登用 | ||
1711 | 正徳2 | 木津川氾濫、死者数千人という | ||
1715 | 正徳5 | 南山城でサツマイモ栽培 | ||
1716 | 享保元 | 享保の改革。尾形光琳死 | ||
1717 | 享保2 | 下村正啓、伏見に呉服店大文字屋創業(大丸の前身) | ||
1720 | 享保5 | 絹屋佐平次、西陣から丹後に帰り、ちりめんを織り始める | ||
1721 | 享保6 | 目安箱設置 | ||
1722 | 享保7 | 加悦町の米屋小右衛門・山本佐兵衛ちりめん織り始める | ||
1724 | 享保9 | 近松門左衛門死 | ||
1728 | 享保13 | 鴨川氾濫、伏見・淀で洪水起る | ||
1730 | 享保15 | 西陣大火 | ||
1754 | 宝暦4 | 山脇東洋、壬生で刑屍体解剖をみる | ||
1758 | 宝暦8 | 竹内式部逮捕、関係公卿17名処分(宝暦事件) | ||
1771 | 明和8 | 八重山、宮古地方の津波 | ||
1772 | 安永元 | 田沼意次、老中となる 長崎の貿易を奨励 |
||
1774 | 安永3 | 杉田玄白、解体新書を刊行 | ||
1778 | 安永7 | ロシア船、蝦夷地に来航 | ||
1783 | 天明3 | 天明の大飢饉。小石元俊伏見で解剖、浅間山天明噴火 | ||
1787 | 天明7 | 松平定信、老中となる | ||
1788 | 天明8 | 京都大火(天明の大火) | ||
1798 | 寛政10 | 本居宣長、古事記伝を完成 | ||
1800 | 寛政12 | 伊能忠敬、蝦夷地を測量。京都・大坂などの銀座廃止。西陣復興 | ||
1804 | 文化元 | ロシア使節レザノフ、長崎に来航 | ||
1808 | 文化5 | 間宮林蔵、間宮海峡を発見 | ||
1815 | 文化15 | 杉田玄白、蘭学事始を著す | ||
1819 | 文政2 | 近江国東部地震⇒ | ||
1825 | 文政8 | 外国船打払令を発す | ||
1825 | 文政11 | シーボルト事件 | ||
1830 | 文政16 | 文政京都地震 | ||
1837 | 天保8 | 大塩平八郎の乱 | ||
1839 | 天保10 | 蛮社の獄 | ||
1841 | 天保11 | 天保の改革 | ||
1853 | 嘉永6 | アメリカ使節ペリー、浦賀に来航 | ||
1854 | 安政元 | 日米和親条約調印 伊賀上野地震⇒ 安政東海・南海地震⇒ |
||
1855 | 安政2 | 京都御所の再建。安政江戸地震 | ||
1858 | 安政5 | 日米修交通商条約調印 梅田雲浜ら逮捕(安政の大獄) |
||
1859 | 安政6 | 安政の大獄 | ||
1860 | 万延元 | 桜田門外の変 | ||
1862 | 文久2 | 生麦事件 寺田屋事件 |
||
1864 | 元治元 | 長州征伐 禁門の変(蛤御門の変) |
||
1866 | 慶応2 | 江戸・大坂に打ちこわし起る | ||
1867 | 慶応3 | 大政奉還 | ||
明治時代 | 1868 | 明治元 | 戊辰戦争開始明治維新、五箇条の誓文 | |
1869 | 明治2 | 版籍奉還 | ||
1871 | 明治4 | 廃藩置県。太政官を東京に移す(事実上の遷都) | ||
1873 | 明治6 | 徴兵令公布。地租改正条例公布 | ||
1874 | 明治7 | 四条大橋できる | ||
1875 | 明治8 | 千島・樺太の交換 同志社英学校創立 |
||
1877 | 明治10 | 西南の役 | ||
1979 | 明治12 | 沖縄県設置 | ||
1882 | 明治15 | 日本銀行設立。壬午事変 | ||
1884 | 明治17 | 甲申事変 | ||
1885 | 明治18 | 内閣制度実施 | ||
1889 | 明治22 | 大日本帝国憲法発令 教育勅語、第一回総選挙 |
||
1890 | 明治23 | 第一回帝国議会開く | ||
1891 | 明治24 | 野尾地震 | ||
1894 | 明治27 | 〜95 日清戦争 | ||
1895 | 明治28 | 下関条約調印 三国干渉 |
||
1896 | 明治29 | 明治三陸地震 | ||
1897 | 明治30 | 金本位制確立 | ||
1900 | 明治33 | 北清事変 | ||
1902 | 明治35 | 日英同盟成立 | ||
1904 | 明治37 | 〜05 日露戦争 | ||
1905 | 明治38 | ポーツマス条約調印 | ||
1906 | 明治39 | 南満州鉄道株式会社設立 | ||
1910 | 明治43 | 大逆事件起る 韓国併合 |
||
1911 | 明治44 | 野口英世、梅毒スピロヘータ純粋培養に成功 | ||
大正時代 | 1913 | 大正2 | 憲政擁護運動起る | |
1914 | 大正3 | 〜18 第一次世界大戦、桜島の大正噴火 | ||
1916 | 大正5 | 明石海峡地震 | ||
1918 | 大正7 | シベリア出兵 米騒動 |
||
1920 | 大正8 | 国際連盟加入 | ||
1922 | 大正11 | ワシントン条約 | ||
1923 | 大正12 | 関東大震災M7.9 | ||
1925 | 大正14 | 治安維持法・普通選挙法布令 北但馬地震 |
||
1926 | 昭和元 | 十勝岳噴火 | ||
昭和・平成・令和 | 1927 | 昭和2 | 金融大恐慌起る 北丹後地震 |
|
1930 | 昭和5 | 金輸出解禁、昭和恐慌 ロンドン条約 |
||
1931 | 昭和6 | 満州事変 金輸出再禁止 |
||
1932 | 昭和7 | 五・一五事件 満州国建国 国際連盟脱退 |
||
1933 | 昭和8 | 昭和三陸地震 12月23日皇太子殿下ご誕生 |
||
1935 | 昭和10 | 天皇機関説問題 | ||
1936 | 昭和11 | 二・二六事件 日独防共協定締結 |
||
1937 | 昭和12 | 支那事変、通州事件 | ||
1938 | 昭和13 | 国家総動員法発令 ノモハン事件 |
||
1939 | 昭和14 | 〜45 第二次世界大戦勃発 | ||
1940 | 昭和15 | 日独伊三国軍事同盟 | ||
1941 | 昭和16 | 12月8日開戦 太平洋戦争 日ソ中立条約 真珠湾攻撃 |
||
1945 | 昭和20 | 東京大空襲 沖縄戦 広島・長崎原爆投下 ポッダム宣言受諾 |
||
1944 | 昭和19 | 昭和東南海地震M7.9 | ||
1945 | 昭和20 | 5月 ドイツ降伏 8月6日広島に原爆投下 8月9日長崎に原爆投下 8月ポッダム宣言受諾。降伏文書調印 8月 GHQ司令官にマッカーサー元帥着任 |
||
財閥解体。農地改革。労働組合法公布 | ||||
1946 | 昭和21 | 1月 天皇「人間宣言」 3月 チャーチル英首相が「鉄のカーテン」演説 5月 吉田茂が第一次内閣を組閣 10月 ニュルンベルク裁判で12人に死刑判決 11月 日本国憲法公布。 12月 昭和南海地震M8.0 公職追放 東京裁判の開廷 |
||
1947 | 昭和22 | 2月 GHQの命令でゼネスト中止 3月 トルーマン・ドクトリン米大統領がギリシャ・トルコへ軍事援助表明、冷戦始まる 5月3日 日本国憲法施行 6月 米による欧州復興計画(マーシャルプラン) |
||
1948 | 昭和23 | 6月 ベルリン封鎖始まる(翌年5月まで) 8月 大韓民国成立。初代大統領に李承晩 9月 朝鮮民主主義人民共和国成立。初代最高指導者に金日成 11月 東京裁判判決で25人のA級戦犯に有罪判決 12月 東条元首相ら7人が処刑 |
||
1949 | 昭和24 | 4月 1ドル=360円の単一為替レート実施 5月 ボン基本法公布、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)成立 8月 北大西洋条約機構(NATO)発足 9月 西ドイツ初代首相にアデナウワー 10月 毛沢東が中華人民共和国成立を宣言 10月 ドイツ民主主義共和国(東ドイツ)成立 |
||
1950 | 昭和25 | 6月 朝鮮戦争勃発 8月 警察予備隊設置 9月 米軍が仁川上陸作戦を決行 10月 中国が朝鮮戦争に参戦 |
||
1951 | 昭和26 | 1月 NHK第1回紅白歌合戦ラジオ放送 4月 マッカーサー、連合軍最高司令官を解任 4月 横浜の国鉄桜木町駅で電車火災、106人死亡 4月 西欧6ヵ国(仏、西独、伊、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)が欧州石炭 鉄鋼共同体を設立 。EUの源流 7月 アナハン島から日本人20人帰国 8月 戦後初の民間航空会社「日本航空」設立 9月 民法ラジオ放送開始(中部日本放送、新日本放送) 9月 対日講和条約、日米安全保条約に調印 |
||
1952 | 昭和27 | 4月28日 講和条約と安保条約発効、日本が独立を回復 | ||
1953 | 昭和28 | 3月 ソ連首相スターリン没 7月 朝鮮戦争休戦協定調印 テレビ放送開始 |
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1954 | 昭和29 | 7月 自衛隊発足 7月 インドシナ休戦協定調印、仏軍撤退 |
||
1955 | 昭和30 | 5月 西独がNATOに加盟、再軍備進める 10月 左右社会党統一。新委員長に鈴木茂三郎 11月 保守合同で自民党成立、55年体制が成立 |
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1956 | 昭和31 | 日ソ共同宣言 国際連合に加盟 |
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1959 | 昭和34 | 皇太子殿下と正田美智子さんがご結婚 | ||
1960 | 昭和35 | チリ地震津波 日米新安全保障条約を締結 安保闘争の激化 池田勇人内閣の所得倍増計画 |
||
1963 | 昭和38 | 11月22日ケネディ米大統領がテキサス州ダラスで暗殺される | ||
1964 | 昭和39 | 高度経済成長 10月1日東海道新幹線が開通 10月10日東京オリンピックの開催 |
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1965 | 昭和40 | 日韓基本条約の締結 | ||
1968 | 昭和43 | 小笠原諸島の返還 GNPが資本主義国の2位まで急成長 全共闘運動 |
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1969 | 昭和44 | 7月20日米アポロ11号が月面着陸に成功 | ||
1970 | 昭和45 | 3月14日大阪万博の開会式 3月31日赤軍派がよど号を乗っ取り |
||
1972 | 昭和47 | 2月3日札幌五輪開催 2月19〜28日連合赤軍による、あさま山荘事件 5月15日沖縄の返還 田中角栄の日本列島改造計画 9月29日日中国交正常化 |
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1973 | 昭和48 | 11月オイルショックによるトイレットペーパーの買占め騒動 | ||
1976 | 昭和51 | 7月27日ロッキード事件で田中角栄前首相を逮捕 | ||
1978 | 昭和53 | 日中平和友好条約の締結 | ||
1980 | 昭和55 | 日米貿易摩擦 | ||
1085 | 昭和60 | 日航ジャンボ機群馬県の山中に墜落、520人が死亡 | ||
1989 | 昭和64 平成元 |
昭和天皇崩御 1月8日平成が始まる 6月4日天安門事件 消費税の導入 |
||
1990 | 平成2 | 雲仙・普賢岳噴火 東西ドイツ統一 |
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1991 | 平成3 | 1月17日湾岸戦争勃発 バブル崩壊 12月25日ソビエト連邦崩壊 |
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1993 | 平成5 | 北海道南西沖地震 | ||
1995 | 平成7 | 1月17日(火)阪神・淡路大震災死者6434人 3月20日地下鉄サリン事件14名死亡 |
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1997 | 平成9 | 5月27日神戸連続児童殺傷事件で男児の遺体発見 11月24日山一証券が自主廃業 |
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1998 | 平成10 | 2月7日長野五輪開催 | ||
2001 | 平成13 | 米同時テロ発生、約3千人が犠牲 | ||
2002 | 平成14 | 5月31日サッカーW杯日韓大会開催 10月15日北朝鮮に拉致された被害者5人が帰国 |
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2003 | 平成15 | イラクへ自衛隊を派遣 | ||
2005 | 平成17 | 4月25日JR福知山線脱線事故が発生、107人が死亡 | ||
2008 | 平成20 | 9月リーマンショックで世界的株価下落・金融危機に | ||
2009 | 平成21 | 8月30日民主党が衆院選で圧勝。政権交代 | ||
2011 | 平成23 | 3月11日(金)東日本大地震 東京電力福島第一原発事故 |
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2012 | 平成24 | 12月16日衆院選で自民党が大勝、政権奪還 | ||
2019 | 平成31 令和元 |
4月1日新元号「令和」に | ||
2020 | 令和2 | 4月新型コロナで緊急事態宣言が出される | ||
2022 | 令和4 | 7月8日安倍元首相が遊説中に大和西大寺で狙撃され死亡 |