第3代 安寧天皇(あんねい) 地図
父…綏靖天皇(第一皇子) 母…五十鈴依媛命(いすずよりひめ) 誕生…前577年(綏靖天皇5年) 御名・異称…磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと) 皇后…淳名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ) 立太子…前557年(綏靖天皇25年)1.7 即位…前549年(綏靖天皇33年)7.3 在位年数…39年 崩御…前511年(安寧天皇38年)12.6 年令…67歳(古事記…49才、日本書紀…57才) 皇居…片塩浮穴宮(かたしおうきあな) 年号…━━ 〇宮の伝承地は、「帝王編年記」では大和国高市郡畝火山北とされる。これに基づき、「和州旧跡幽考」はその所在地を現在の奈良県橿原市四条の北とする。一方「古事記伝」などによれば、堅上などの地名から現在の大阪府柏原市を流れる大和川と石川の中間地帯に比定する。 陵墓…畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるみほどのいのえのみささぎ) 山形 所在地…奈良県橿原市吉田町字西山 〇現陵は里人がアネ山と呼ぶところから安寧天皇陵に擬定された。御陵の墳形は定まらず、畝傍山の西麓で西に向かって延びる小さな丘陵全体が治定されている。いわゆる山形で、全長約120mで、東西に長い。 陵名の御陰井(みほどのい)は、御陵に南接する吉田集落にあり、今は石棚を設けている。 「大和志料」の「畝傍山古図」に、周辺に白檮井(かししのい)、花原井、清水井、ウシ井、若井、御陰井、大谷井、大井の八井があって、その一井であったことが治定の最大の理由であった。 1864年(元治元年)8月修補に着手され、翌年完成した。 〇考古学的にも現陵を容認できる条件はない。
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