鴨都波神社地図

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 拝殿 神殿 
   
祭神 積羽八重事代主命(つわやえことしろぬし)、下照比売命 大物主
 崇神天皇の御代、勅を奉じて大賀茂祇命(おおかもずみ・大田々根子の孫)が、ここに創神され
今日に至った。続き⇒⇒⇒
 延喜式では、名神大社に列し、月次、相嘗、新嘗には宮中より官幣に預かってきた。 

鴨明神

鴨都波神社

御祭神  積羽八重事代主神

      下照比売命

由緒

本社の御祭神は、古く鴨都波八重事代主神と申し奉り、そ

れは鴨の水辺で 折目ごとに祀られる田の神という御神名で、

弥生時代の中期初頭、この葛城川の岸辺に鎮め祀 った の
に始まる。本社は高鴨社に対して下鴨社ともいい、鴨族の発

祥地としてこの 地方を治め、全国に分布する鴨社加茂の源

である。

御祭神は、宮中八神の一つとして尊崇され、神功皇后の朝

鮮遠征や天武天皇の壬申の乱に 御神託を授け給いし神徳高

き神にて、延喜の制では名神大社に列した古社である。

寄贈

御所ライオンズクラブ

平成十三年一月改建

 
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 鴨都宿鷺(おうつしゅくろ)

山の残霞(ざんか)に心を奪われているのだが、林にはまだ日が

差し込んでいる。

羽根が白くつやのある白鷺は、緑濃い樹木に群がっている。

鷺が群れているところは、いつも雪が積もって白く堆(うずたか)

くなっているように見える。
その雪堆(せったい)は、時には、高く飛び上り、いつの間に

か、鷺は見えなくなっている。

 鴨都波神社は、第十代崇神天皇の時代に創建されたという。

 祭神は積羽八重事代主命、下照比売命である。

 事代主命は、元来「鴨 族」が信仰していた神であり、大神神社

に祀られる大国主命の子にあたることから、「大神神社の別宮」

とも称される。

 神社付近一帯は、鴨都波遺跡と呼ばれ、鴨都波 1号墳をはじ

め弥生時代中期から古墳時代前期の遺跡が出土している。この

鴨都波遺跡は、弥生時代の拠点的大集落がそのまま継続してい

る珍しい遺跡である。 

 鴨都波神社は、その遺跡群の上に鎮座しているが、神社の広

大な森林には、いろんな鳥類が棲みついている。

 漢詩 は、神社の中の林に分け入り、白鷺の群れをよく観察し

て詠まれている。 

 鴨都波神社は、24号線を御所から500m程南下した東側に位置する。
この神社から東北方面800m程のところ御所市役所があり、この近くに葛城川が
南から北に向かって流れていて、柳田川との合流地点に鎮座する旧県社である。
この川にかかる大橋から西側に向って、金剛山(左)、葛城山(右)がきれいに
眺められる。
 俗に鴨の宮とも呼ばれ、旧御所町30地区と近隣5地区を合わせた35地区が
氏子域である。
 金剛、葛城の山麓は古代の大豪族、鴨族の発祥の地である。その末流は全国に広がり、鴨(賀茂)
の郡名だけでも、安芸、播磨、美濃、三河、佐渡の国々にみられ、全国に分布している多数の鴨社
も、すべて源をこの地に発するものである。 
 金剛山に源を発する葛城川と葛城山に源を発する柳田川が合流するこの地が、灌漑に最も適した
地として、田の神を鎮め祀ったのにはじまる。
 この葛城の地に鎮まる鴨社としては、本社(下鴨)の他に、高鴨神社(上鴨)、御歳神社(中鴨)との三社
がある。
 事代主神は元来鴨族が信仰していた神であり、大神神社に祀られる大国主命の子に当たる
ことから、大神神社の別宮とも称される。
   
  神農社 
祭神 少名毘古那神
秋祭り 境内 御神木いち
樫樹齢350年
 葛城王朝の神武綏靖安寧の三代の天皇の皇后となったのは、事代主神を奉斎して
この地を領地していた鴨王の娘であるといわれる。
神武天皇の大和平定のとき、一族は八咫烏(やたがらす)と称され功績をあげた。
・神功皇后の朝鮮征伐から帰還にあたっては、謀反があって船を難波に入れないとき、
事代主神の守護により、無事に大和に入る事ができた。その時の御神託に「事代主尊、
誨(おし)えてのたまわく、吾が御心の長田国に祠(まつ)れ」、これが神戸にある
長田神社に本社の祭神が祀られた所以。
 八咫烏⇒⇒⇒
 現在、鴨都波神社には夏季と秋季の二度の大祭があるが、神輿をはじめとして御所町
を練り歩く渡御行列は秋季に行われる。
   
無患子(むろくじ): 果実は石鹸代わり、種子は羽根つきの羽根の玉
に使われる。 
   

























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