皇大神宮(内宮)

 
 正しくは皇大神宮といい、天照大御神をまつる。歴代の天皇のそばにまつられていたが、
第10代崇神天皇の御代に、皇居を出られ、大和の笠縫邑にまつられた。ついで各地を巡幸ののち、
第11代垂仁天皇の26年、現在の五十鈴川のほとりに鎮座されたと伝えられる。


宇治橋

五十鈴川に架けられた木造の橋は神宮の表玄関。
長さ101.8m、巾8.42mで欄干の上に16基の擬宝珠(ぎぼし)を据えている。
橋の両端にある鳥居は、旧御正殿の棟持柱(むなもちばしら)を使用。
平成元年に架けられた。建替え中は仮の橋が架けられている。
仮の橋


橋の手前にある参宮案内所


 宇治橋は五十鈴川にかかる宇治橋は20年に一度 架け替えもしくは大改修が行われます。 純粋な和橋で、檜で作られますが、
橋脚の部分は欅を使用します。
長さ101.8m、巾8.42mで、欄干の上に16基の葱花型金物(擬宝珠)
を据えています。
宇治橋の外と内に高さ7.44mの大鳥居が立っていますが、内側の鳥居は、内宮の旧 正殿の棟持柱(むなもちぱしら)が用いられ、
外側の鳥居は外宮のものがあてられます。さらに、ここで20年を経ます
と、内の鳥居は関の追分の鳥居となり、外の鳥居は桑名の
七里の渡しの鳥居となり、ともに
正殿の棟持柱となって以来、60年間の勤めを果たすのです。   


神苑


火除橋・第一鳥居


手水舎



五十鈴川御手洗場(みたらし)

 参拝する前に心身を清めるのがしきたりとされる場所。
御裳濯川(みもすそがわ)とも呼ばれる五十鈴川の水ぎわに、元禄5年(1692)に
徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院が寄進したという石畳が敷かれている。

 神路山、島路山を水源とする2つの流れは、御手洗場のすぐ上流で合流します。

参宮の人々が手を洗い、口をすすぐこの五十鈴川神宮の清らかさの象徴です。一名、

御喪濯川(みもすそ)ともいい、内宮のご鎮座をこの地と定められた倭姫命が
御裳のすそを洗われたことによると言われています。下流
は二見の浦と大湊から
伊勢湾にそそいでいます。
 


第二鳥居
第二鳥居を過ぎると左に神楽殿、右に風日祈宮
がある。

神楽殿

お札やお守りの受付を行う。  ご祈祷のお神楽を行う御殿。
 神饌をお供えして祝詞(のりと)を奏し、お願ごとを大御神に取次をするのが御饌(みけ)である。
 これに雅楽を奏し舞楽を加えてご神慮を慰め、より丁重の祈祷を行うのが御神楽である。
内宮神楽殿

 銅板葺、入母屋造の建物で、向って右から神楽殿、御饌殿(みけでん)、神札授与所(おふだじゅよしょ)となります。
皇大神宮(内宮)
の神札(おふだ)・お守をはじめ、別宮荒祭宮、風日(かざひ),宮の神札、神宮暦の授与、
御神楽(おかぐら)の奉奏(ほうそう)、御饌(みけ)の奉奠(ほうてん)、献金のお申し込みなどを受け付けています。


別宮 風日祈宮(かざひのみのみや)
風日祈宮橋
 五十鈴川の支流・島路川(しまじ)にかかる橋で、宇治橋に次ぐ宮域で2番目に大きい美しい和橋。
橋の上部は檜材、橋脚には強度の高い欅(けやき)材が使用される。
長さ43.2m、幅4.6m擬宝珠8基、橋脚3本立て5組、木除杭3本。
 風宮橋と呼ばれるこの橋は、別宮・風日祈宮への参道に架かる。表参道から少し離れている。内宮略図⇒⇒⇒
20年に一度架け替えが行なわれる。宇治橋の約2分の1。
祭神
 級長津彦命(しなつひこのみこと)
 級長戸辺命(しなとべのみこと)
 外宮と風宮と同じ風の神級長津彦命と級長戸辺命をまつる別宮。
鎌倉時代元寇の時、神風を吹かせて日本を守った神。

五丈殿

 1月11日御饌の神事が終わると、
五丈殿を会場として舞楽が催される。
五丈殿は、神楽殿の東隣にあり、参道から
でも舞を見ることができる。



別宮荒祭宮遥拝所


御正宮

祭神
 天照大御神
 御正宮(ごしょうぐう)は四重(板垣・外玉垣・内玉垣・端垣))の垣根に囲まれている。
唯一新明造(ゆいいつしんめいづくり)りの古代の様式を伝え、
萱葺きの屋根には10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、4本の千木(ちぎ)
の先端は水平に切られている。
皇大神宮 (内宮)正宮(しょうぐう)

 内宮の正宮御垣内は、6.807uの広さで、御垣の最も中心の斎庭を内院と呼び、
天皇が御参拝されるときとお祭りのとき以外入るこ
との許されない、神聖この上
ない一画です。ここに正殿が南面して立ち、その後方に正殿と同じく神明 造の
東宝殿と西宝殿がそれぞ
れ南面して立っています。これら3つの殿舎を囲んで
内側から瑞垣 蕃垣 内玉垣外玉垣板垣の五重の御垣があり
それぞれの御垣には
南北に御門があります。皆さんが参拝されるのは、外玉垣南伽門の前です。
正殿の萱葺の屋根には、鰹木が10本並び、東西の両端に千木がそびえ、
その先端
は水平に切られています。この屋根を東西の両側
から支えているのが棟持柱です。
正殿は
檜の素木の丸柱を直接地中に埋める堀立式の建物で床を高く張り(高床式),
正面中央の板扉の前に10段の木階がつけられています。

 第62回式年遷宮の新御敷地(しんみしきち)敷地は東西に同じ広さの宮地が2か所あり、
20年に一度の式年遷宮(しきねんせんぐう)で同じ形の社殿が新しく建て替えられる。
平成25年に斎行され、ここに新しい社殿が建てられる。
平成17年から8年もの歳月を掛け、正宮以下の諸殿舎、御装束宝を造り替え、内宮・外宮
及び14の別宮の殿舎が生まれ変わる。

 遷宮は第40代天武天皇の発意により、20年に一度と定められ、
第41代持統天皇の御代に第1回が行われた。
 遷宮はなぜ20年に一度かというと、神宮独特の建築様式である唯一神明造の技法や神宝
類を制作する技術者の、巧みの技を次の世代に伝えるには、20年が年限であると言われている。
 遷宮の古材は神宮とゆかりのある全国各地の神社の造営などに利用される。
宇治橋の内側の鳥居(高さ7.44m)は、、内宮正宮の棟持柱が、外側の鳥居は、
外宮正宮の棟持柱が用いられている。
ここで20年経つと、内側の鳥居は鈴鹿峠麓の関の追分の鳥居として、
外側の鳥居は桑名の七里の渡の鳥居移される。

第一別宮 荒祭宮(あらまつりのみや)
祭神
 天照坐皇大御神荒御魂
 内宮第一の別宮で、祭典やお供物も正宮
に準じて行われる。
 荒祭宮へ下る石段の途中にある踏まぬ石。
敷き石の一つ(下側の石)が4つに割れ、天の字に似ていることから
「天から降ってきた石」とも伝えられ、参拝者は踏まないように歩く。
このままでは天の字には見えないが、仮にもう一つ長方形の石が右端にあれば、
天の字に近くなる。

御稲御倉(みしねのみくら)
神田から収穫した稲を納められ、神嘗祭と
月次祭の御稲を奉下して、大御饌が調進
される。
正宮の約5分の1の大きさで、唯一神明造の
特徴を見ることができる。




参集殿



外幣殿




忌火屋殿





四至神





内御厩






籾だね石





御酒殿・由貴御倉

向って(左)御酒殿・(右)由貴御倉

火除橋・外御厩
皇室から牽進された神馬が飼育されている。
外宮と同様、毎月1・11・21日に菊花紋の馬衣
をつけて神前に見参している。

手水舎(東)


大山祇神社

祭神
 大山祇神

子安神社
祭神
 木華開耶姫命
木華開耶姫命は大山祇神の娘にあたる。
縁結び、子授け、安山、子育ての信仰がある。





神宮司庁




御饌殿
 外宮正宮の東北の隅にある井楼組み、萱葺の建物で、刻御階と

ともに古代の穀倉を偲ばせます。1,500年以上にわたって、毎日朝と

夕の2度、天照大御神はじめ諸神に御饌がたてまつられています。