賣太神社(めたじんじゃ)地図
延喜式官幣社 旧県社 祭神 主斎神 稗田阿礼命 副斎神 猿田彦神 天鈿女命 |
この稗田の地は太古の昔より朝廷に奉仕した猿女君稗田氏族の居住地であって天武天皇の舎人稗田阿礼はこの一族として出仕したのである。 天皇は阿礼が記憶力理解力共に抜群で、学芸諸術の方にも秀でていたのをお褒めになって御自ら精選になった歴代天皇の事績と建国以来の歴史・神話・伝統・歌謡を直接授けた。 この誦習った事柄を三十数年後の元明天皇が太安万侶に記録させられた書物が古事記である。 これは我が国最古の文学書であり、古代人の生活・習慣・思想などが書かれており、祖先の考え方や生き方を偲ぶのに貴重な書物である。 |
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売太神社の名のおこりには、次の話が伝えられている。稗田の猿女君は天皇より多くの養田を賜り、その 田を猿女田、持ち主を猿女田主と呼んだ。のち、猿の字を略して、女田主と呼ぶようになり、その祖神をま つる社を売太神社と称することになった。 |
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天武天皇の舎人であった稗田阿礼は一度見たもの、聞いたことは忘れない天才的な記憶力の持ち主であったと云われている。 28歳の時に天武天皇の勅命を受け、各地に伝わる神話や伝承、歴史を記した「帝記」「旧辞」などを暗記。30数年を経た元明天皇の時代にそれを太安万侶 の口伝えし、「古事記」を編纂、完成させた。 この稗田阿礼を主祭神に祀るのが賣太神社で学問の神様、お話の神様として信仰を集めている。 社の地は代々、天鈿女命を始祖とする猿女君の一族、稗田氏の居住地であったと伝わる。 |
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その聡明さから天武天皇に『古事記』を誦習することを命じられた稗田阿礼を祀っている神社です。稗田氏は、天の石屋戸神話や天孫降
臨神話で活躍した天宇受女命を祖とし、宮中の鎮魂祭という儀式で踊る女性を貢上した猿女君氏(さるめのきみ)の一族とされています。 |
碑田環濠集落 東西約250m、集落を濠が囲む。環濠がほぼ完全に残る集落としては、全国有数の規模を誇る。 |
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阿礼祭 毎年8月16日に開催。祭事の後に阿礼さま音頭が始まり、地元の女児が花笠、浴衣姿で踊る。
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稗田阿礼と賣太神社・稗田遺跡 大和郡山市稗田に所在する賣太神社は、稗田阿礼を主祭神とし、天鈿女命、猿田彦神を副祭神とする 式内社である。稗田阿礼の出身と考えられる猿女君氏がこの神社周辺の地域を本拠地としていたこと を考えると、阿礼にとっても稗田は無聞係な土地ではなかったはずである。 この賣太神社の西側には、平城京の羅城門へつながる官道の下ツ道が通り、神社より南へおよそ 400mの位置では、下ツ道に交差する川跡とそれを越える下ツ道の橋(橋脚部分)が検出されている。 そこでは、奈良時代の祭祀関連遺物が多量に出土した。これには平城京の正門である羅城門の付近 (外側)という立地が深く関係しており、都を出入りする多くの人々が穢れを払ったてあろうことは容易に 想像できるが、祭祀と関わりの深い猿女君氏の性格との関係についても気になる点てある。 奈良県立橿原考古学研究所 展示パネルより |
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