第43代 元明天皇(げんめい)地図

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天智(てんじ)天皇(第四皇女)
()(がの)姪娘(めいのいらつめ)
誕生661年(斉明7年)
御名・異称阿閇(あべ)日本(やまと)根子(ねこ)天津(あまつ)御代(みしろ)豊国(とよくに)(なり)(ひめ)天皇
皇后━━
立太子
━━
即位707年(慶雲4年)7.17  
在位年数
8
崩御721年(養老5年)12.7  年令…61
皇居藤原宮、平城宮  年号慶雲、和銅
○文武天皇は25才で崩御され、嫡子の(おびと)親王(後の聖武天皇)は、当時7才であったため、中継ぎ天皇として即位された女帝である。
天武天皇・持統天皇→草壁(くさかべの)皇太子→文武天皇の血統を守るためであった。
708年、埼玉県秩父郡から自然銅が産出したので、年号を和銅と改元された。銭・銅銭を発行した。(和同開珎
○元明天皇の最大の事業は平城遷都である。これまでは天皇代がわりごとに宮殿が造替されてきた伝統をもっていた。しかし、平城宮をもってその伝統が変化した。藤原宮は持統天皇と文武天皇が使った。奈良時代初代の元明天皇から光仁天皇まで7天皇、70余年の皇都として栄えた。
太安万侶(おおのやすまろ)に撰上された「古事記」は3巻として、神代から第33代推古天皇までまとめられている。老いと疲労を理由に、まだ首皇子が若年であるとして、娘の()(だかの)皇女(ひめみこ)(元正天皇)に譲位し太上天皇となり、後見した。

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陵墓()()(やまのひがしの)(みささぎ)  山形
所在地奈良市奈良阪町
○元明天皇崩御に際して、都を防備するため三関(さんげん)鈴鹿(すずか)関、不破(ふわ)関、愛発(あらち)関)を固守させ、これが先例となって「延喜諸陵式」には「兆域東西三町、南北五町、守戸五烟」と載っている。
○崩御前、薄葬の詔「葬を厚くして業を破ることなく、大和国添上郡蔵宝山雍良岑(さほやまよらのみね)(かまど)を作り火葬の上、ここを陵とし、その上に常葉(ときは)の樹を植え刻字の碑を立てよ。王侯百官は喪車(もしや)に追従することなく、各々司を守り事を視ること(つね)の如くせよ。・・・」を出した。
刻字碑については「東大寺要録」に、元の碑は瑪瑙(めのう)石(大理石)であり石碑高は約1mと載っている。