多神社(おおじんじや)地図

(多坐弥志理都比古神社・おおにますみしりつひこ)

 祭神 神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと・綏靖天皇)、姫御神(玉依姫) 
 太安万侶の一族である多氏(おお)の本拠地とされる地に建ち、多氏の祖先である神八井耳命(かむやいみみのみこと・神武天皇の皇子)を祀っている。
 皇位を弟の綏靖天皇に譲って、祭りを司ったことが「古事記」に記される。

 かつて国中(くんなか)と呼ばれた奈良盆地の中央部の地に鎮座している。

神武天皇、御子の神八井耳の命(かむやいみみのみこと)と神沼河耳命(かむやいみみのみこと・志

靖天皇)、姫御神を祀る。

『古事記』によると、神倭伊波礼毘古命(神武天皇)が亡くなった後、子の当芸志美々命が神武天皇

の皇后の比売多々良伊須気余理比売と結婚し、異母弟である神八井耳命たちを殺そうとした。比売多々

良伊須気余理比売は謀反を知らせる歌を神八井耳命らに送り、歌を読み解いた神八井耳命らは逆に当芸

志美々命を討ち取った。その際、当芸志美々命を殺せなかった神八井耳命は弟の神沼河耳命に皇位を譲

り、自らは祭事を司る者となった。神社名の彌志理都比古とは、神八井耳命のこととされる。

多は、太安万侶を出した多氏が住んでいた地で神八井耳命は多氏の祖先とされている。

稗田阿礼(ひえだのあれ)天武天皇の舎人で、抜きん出た記憶力を認められ、
『帝紀』、『旧辞』などの伝承を覚え習うよう
に天皇から命じられました。稗田阿礼については、

「古事記成立にあたって、過去の資料を記憶し□頭で伝えた人」ということ以外はほとんどわかっ

ていません。命じた天武天皇が亡くなり、『古事記』編纂事業は未完成のまま宙に浮くことになっ

てしまいました。

ところが、中断されていた『古事記』編纂事業が再び動きだしました。太安万侶は稗田阿礼から

『帝紀』『旧辞』などに伝わる伝承を聞き取り、記録整理することを元明天皇に命じられたのです。

記録に残っていない稗田阿礼とは対照的に、太安万侶は居住地や位階勲等、そして亡くなった日ま

で墓誌などで判明しています。墓誌からわかる居住地は現在のJR奈良駅付近でした。
 なら記紀・万葉 名所図会 より

太安万侶墓⇒⇒⇒
賣太神社⇒⇒⇒