明王院地図

   
明王院
 明王院は真言宗大覚寺派の寺院で、もとは常福寺といい、大同2年(807)弘法大師の開基と伝える。
室町時代には「クサイツ草出常福寺」の記録が残り、芦田川の中州から堀出せれた「草戸千軒町遺跡」は常福寺の
門前町でもあった。
江戸時代初期(1655年頃)水野家3代勝貞が、城下からこの地に明王院を移して現在に至っている。
 国宝の本堂は鎌倉時代末期(1321)、五重塔は南北朝時代(1348)の建築で、
平安時代初期の本尊「木造十一面観音立像」重文に指定されている。 
     
 山門
 この門は棟札の記録によると慶長19年(1614)の再建であるが、その創建はさらにさかのぼるといわれている。
降棟(くだりむね)に龍頭瓦を乗せており、。鞆町安国寺釈迦堂の屋根よりやや小形で珍しいもので、全体に雄大で豪壮な建築。  

     
鐘楼
 面取り角材を方形の礎石上で内側に傾斜をつけて建てた四方転びの立て方で、
特に各柱を内側に湾曲させているのが特徴である。
 建立は正保4年(1647)で水野勝成、鐘は明暦3年(1657)福山三代藩主水野勝貞の寄進
によるものである。    
書院
 小屋組は古式で手法も古く、一間毎に柱を建てた書院式初期の技法を用いた、
江戸時代初期の建築。建物の平面を田の字に4つの部屋があり、4周を広縁と廊下で取り囲んでいる。  
護摩堂・不動明王立像
 正面に一間の向拝を付け、背面に下屋根を設けてある。
 寛永16年(1639)に福山初代城主水野勝成が藩の安泰を祈願して、明王院住職宥将(ゆうしょう)のために建立した。  

       
本堂
 鎌倉時代の元応3年(1321)に建立された仏堂。
全体的には、和様の姿をとり、細部には大幅に唐様を採用した折衷様で、外陣の輪垂木天井は極めて珍しい手法になっている。
その他独特の技法も多く、全国で最も古い折衷様建築物。
十一面観音立像(重文)
 本堂の本尊で一木造りの秘仏(伝伝教大師作)。扉の内部に蓮を描いた美しい春日厨子に納まっている。
慈悲に満ちた上品な面立ち、均整のとれた姿、天衣と呼ばれる薄く長い布のひだの曲線も巧みな平安時代初期の優作とされている。   
本堂内陣
 堂内は外陣、脇陣、内陣と区画され、内陣来迎壁の前面に須弥壇を設けて壇上に春日厨子を安置し、内に秘仏の十一面観音立像が納められている。
秘仏の開帳は33年間に1度。 
本堂(国宝)
 昭和39年(1964)指定。
 建築様式は、全体的に和様の姿をとりながらも、細部には大幅に唐様が採用されている折衷様で外陣の輪棰木天井は極めて珍しい手法である。
尾道の浄土寺本堂(国宝)とともに、内海地域で最も古い建物として貴重である。
 閻魔堂
 十王堂とも呼ばれている。慶長再興、平成2年(1990)再建。閻魔大王以下十王が祀られている。悪い事をした人は、地蔵菩薩の化身である閻魔大王によくお願いし、次に観音様に頼めば大慈悲の力で救われると言われている。

 
五重塔(国宝)
 昭和28年(1953)指定。
 この塔は貞和4年(1348)住持頼秀の時、一文勧進の小資を積んで
造られた。
 和様の形態をよく整え、手法も雄大で南北朝時代を代表する建築で、
全国19塔のうち5番目の古さを誇っている。  
     
五重塔(国宝)
 貞和4年(1348)に建立。一文勧請の小資を積んで造られた純和様の建築物。全国の五重塔のうち、5番目の古さを誇り、
中世密教寺院における現存唯一の遺例。初層内部には極彩色の仏画や文様が描かれて弥勒浄土の世界がひろがっている。  
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明王院五重塔⇒
西明寺三重塔⇒


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