建仁寺地図

法堂兼仏殿粘華堂(ねんげどう) 本尊釈迦如来
臨済宗建仁派の大本山

建仁寺開山 栄西
 鎌倉時代になってから、
建仁2年(1202)、鎌倉2代将軍・源頼家が寺域を寄進し
、日本禅宗の開祖である栄西禅師によって中国の百丈山を模して建てられ、
花見小路通の石畳の先に広がる日本最古の禅刹である。
三門(国宝)
 三門は、空門・無相門・無作門の三解脱門で、
「望闕楼(ぼうけつろう)」と御所を望む名がつけられている。
江戸末期築造。浜松市の安寧寺から大正12年に移築された。
 
 勅使門(重文)、室町時代の唐様の四脚門
法堂に描かれた「あ・うん」の口をした龍2匹
小泉淳作の天井画「双龍図」
方丈(重文)
 慶長4年(1599)に安国寺から移築したものである。青緑色の銅板葺の屋根。
茶碑
 建久2年(1191)栄西禅師によって、禅とともにお茶が中国よりもたらされ、
更に茶の栽培方法とその効用を説いた「喫茶養生記」著した。
 高山寺⇒⇒⇒
 
 勅使門から方生池・三門・法堂(仏殿・坫華堂)・方丈と南北一直線に
並んだ整然とした伽藍配置であり、14の塔頭寺院をもつ大寺院。
 建仁寺はその寺名となった建仁2年(1202)に栄西が源頼家の帰依
により創建した京都でもっとも古い禅寺である。
 京都の人は「けんねんじ」とも「けんねじ」ともよぶ。
 中国百丈山を模した伽藍の竣工は3年後の元久2年(1205)で、
竣工と同時に官寺として認められた。
 当初の建仁寺は叡山に遠慮した形で、天台、真言、禅の三宗兼学としたが、
十世円爾弁円(聖一国師)や宋僧の十一世蘭渓道隆の代になると
禅刹として定まった。
 足利義満によって五山の第三位とされ、おおいに隆盛する。
(京都五山・第1位天龍寺・第2位相国寺・第3位建仁寺・
第4位東福寺・第5位万寿寺・別格南禅寺) 
  栄西は、1168年と1187~91年に2回入宋した。
2回目の入宋で天台山万年寺の虚庵懐敞(きあんえしょう)に出会い、
臨済宗黄龍派(おうりゅうは)の禅を受けて帰国後、
「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」を著し、禅宗の独立を宣言したとされるが、
宗派化する意図はなく、総合的な日本の仏教全体の刷新と中興を目指した。
 栄西は、東大寺大勧進職として、源平合戦で荒廃した南部の復興の中心
ともなっている。