東福寺地図


三門(国宝)と思遠池
 臨済宗東福寺派の大本山。
 鎌倉時代、摂政・関白を務めた九条道家が九条家の氏寺として嘉禎2年(1236)から19年かけて
造営造営し、聖一国師円爾弁円(しょういちこくし えんにべんねん)を開山に迎えた。当初は天台・真言・禅の
3宗兼学の寺だったが、現在は臨済宗東福寺派の本山となっている。
 奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように隆盛を極める寺になるようにと、「東」と「福」の文字を
とって名付けられ、19年を費やして完成した。
 境内の中心を流れる三の橋川は「洗玉潤(せんぎょくかん)」とも呼ばれ、偃月(えんげつ)、通天、臥雲(がうん)
と三つの屋根付きの木橋である。
 臥雲橋から通天橋を望む紅葉の季節の景色は天下の絶景と呼ばれている。(考古学者 森浩一が著書に記す)
 室町時代の応永32年(1425)の完成。現存する三門では国内最古であり、禅宗寺院では最大で、
幅約25.5m、高さ約22m。
 内部には宝冠釈迦如来像や十六羅漢像が並ぶ。天井や梁には当時の画僧、明兆(みんちょう)らの筆で龍や
人頭鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんが)が色鮮やかに描かれている。
 京都における紅葉名所の代表格の一つ。約2000本のカエデが彩る境内の中でも、
方丈と開山堂を結んで架かる「通天橋」から眺める渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)の紅葉は一見の価値があり
「紅(あか)い雲海」と云われている。
本堂(仏殿兼法堂)
昭和19年築の重層入母屋造。
本堂天井の蒼龍図は堂本印象作。
   
 東司(重文)  東司内部の絵
 便所、禅僧は用便も修業であり、東司へ行くにも厳しい作法が定められた。
 我が国最古、室町前期の遺構。
五社成就宮
 東福寺の鎮守社として石清水八幡宮・賀茂・稲荷・春日・日吉の
五社を祀るので五社明神社とも云う。
もとは法性寺であって、摂政忠道在世頃はその祭礼を総社祭と称し、
祇園会に匹敵するほどの賑やかさであった。
総社祭は東福寺の鎮守社になってからも引き続き行われ、
寛元元年(1243)8月22日には九条道家をはじめ
右大臣実経や左大忠家等が参列したという。
今は毎年11月の第2日曜日にお火焚祭が催される。
開山堂 普門院 普門院前の庭

方丈と八相の庭他追加⇒⇒⇒

禅堂(重文) 浴室(重文) 経蔵
1347年再建。最古最大の坐禅道場。 国内最大、東大寺の湯屋に次いで
古い浴室。蒸し風呂形式。
愛染堂 庫裡 殿鐘楼
 丹塗りの(こけら)葺き八角円堂。
南北朝時代の建築。万寿寺より移された。
愛染明王を祀る。
勅使門 六波羅門に矢(弾ではない)の痕が残る
三門(国宝)
 室町時代 応永12年(1405)
 東山三十六峰「慧日山」の麓に聳える国宝「三門」。
一般的には「山門」と表記され、寺域の入口(境)を指す。しかし、東福寺では、「三つの門:三門」と表記している。この意味は、「三解脱門」の略で、涅槃に達するための通らねばならない門とされる。三つの門は「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無作門(むさくもん)」である。大きさは、5間3戸、2階2重門、入母屋造り、本瓦葺き、左右に階段を覆う山廊を有す。構造的には大仏様(天竺様)であるが、視覚的には禅宗様である。三門正面2階には北朝第4代将軍足利義持の筆である扁額「玄+少、雲閣」が掲げられている。「妙」は「女」偏が一般的であるが、額は「玄」の偏を用い、本来の「玄」の意味である「奥深い道理」の意味を添え「妙」の意味「真理・美しい」の意味を強化している。大きさは小さく見えるが畳3畳分あり、また、力強い筆運びである。2階内陣中央に35歳と云われる宝冠釈迦如来坐像、左前に月蓋尊者、右前に善財童子、両側に十六羅漢が安置されている。周りには五百羅漢とも、森羅万象とも云われる木片がおかれている。
 天井・柱には極彩色の迦陵頻伽(極楽に住む人面鳥身の架空の鳥)や飛龍(極楽に住む応龍)を描き、また金襴巻や牡丹唐草等で天上界を表している。天上界は悟りに達した精神界究極の世界を現していると言える。大屋根の四隅の角柱は、桃山城崩落の天正大地震による三門の傷みを天正13年豊臣秀吉が行った大修理の際に補強した柱で、通称「太閤柱」と呼ばれている。

拝観の手引き⇒⇒⇒
扁額「(玄+少)雲閣(みょううんかく)」は足利義持筆。  東福寺では年3回、僧侶らが三門を上がり羅漢供(らかんく)という法要が営まれる。
衣を着て2階へ上がり下りするのは大変であるが、老僧も加わる。
柱列の美しさは、ギリシャ、ローマにも劣らないと言われる。
 恵日山と号し、臨済宗東福寺派の大本山である。藤原道家が嘉禎(かてい)2年(1236)東大寺興福寺と並ぶ大寺の建立を発願して東福寺と名付け、禅僧円爾弁円(えんにべんえん)(聖一国師)を開山に招いて、建長7年(1256)完成した。その後火災を受けたが、室町初期に道家の計画通りに再建され、京都五山の一つとして栄え、多くの伽藍、塔頭が立ち並び、兵火を受けることもなく明治に至った。明治14年に惜しくも仏殿、法堂など中心部を焼失したが、今なお中世禅宗の寺観を保っている。
 三門(国宝)は室町初期の作、禅宗三門として最古の遺構である。禅堂(禅僧の坐禅所)、東司(とうす・便所)、浴室も室町時代の建物(重文)でいずれも禅宗建築の重要な遺構である。本堂、方丈は近時の再建で、開山堂に至る渓谷には多くの紅葉がある。
 
 京都五山(第1位天龍寺・第2位相国寺・第3位建仁寺・第4位東福寺・第5位万寿寺・別格南禅寺