纏向石塚古墳
纏向勝山古墳
纏向矢塚古墳
東田大塚古墳

メクリ1号墳

2009-5-29朝日新聞より
箸墓古墳 ホケノ山古墳

古墳⇒⇒⇒

isituka

纏向石塚古墳地図

 

全長約96mの前方後円形の墳丘をもつ大型墳墓。

後円部径と前方部長の比率が2:1となる「纒向型前方後円墳」の典型的な例とされています。

箸墓古墳などの定型化した前方後円墳が出現する以前の3世紀前半~中頃の築造と考えられ、
ちの大型古墳に見られるような葺石や埴輪は存在しません。
このため古墳時代初頭の「古墳」とす
る考え方がある一方で、弥生時代終末期の「墳丘墓」と

する意見があり、古墳時代 のはじまりを議論する上で注目される資料となっています。 

 昭和46年以降の調査で、纏向三式~四式期(3世紀後半)以前に築造された発生期の
前方後円墳として貴重な遺跡である。
 墳丘は、後円部長径64m、短径61mの不整円形で、東南方向に前方部幅32m、
長さ32m括れ部幅約15mの前方部が付く纏向型の前方後円墳である。
周濠は墳丘に添った形で、幅約30mの濠を巡らせ、前方部前面は幅5mの濠で区画する。
 周濠から弧文円板・鶏形木製品等が出土している。 
 石塚古墳は纏向の中でも古い。
また、三輪山山頂に向けて築かれているといわれる。
墳丘の上に立つと、写真の様に東南東方向に三輪山が見える。
西の方角に二上山、西南の方角に(今は民家に隠れてしまうが)丁度耳成山畝傍山
重なった状態になる。
御影縁石から3.25m墳丘部側に寄ったところが周濠の昔の
水面と想定される位置。
(左の写真)西の方角に二上山、(右の写真)手前が耳成山奥が畝傍山で、
10m程右に移動し、墳丘に立つと二つの山が重なることになる。
墳丘 外堤 御影縁石 3.25m 周濠 昔の想定水面 御影縁石から3.25m墳丘部側に寄ったところが周濠の昔の水面と想定される位置。


katuyama
纏向勝山古墳地図

 
 纏向勝山古墳は、東面する全長約110m、後円部の高さ約7mの古墳時代前期の
前方後円墳で、周囲にはかっての濠の痕跡を残すように、逆台形の池がある。
詳しい調査が行われていないため、築造の時期や主体部の内容など、
詳細は不明だが、墳丘の築造企画は纏向石塚纏向矢塚東田大塚ホケノ山
などの古墳、と同じ築造企画を持つ纏向型前方後円墳の一つと考えられ、
箸墓古墳に先行する古墳になる可能性も指摘されている。
 周囲は現在勝山池となっている。この勝山池の堤の改修にともない発掘調査が行われた。
その後の調査を含めて馬蹄形の周濠が復元されるようになった。
周濠からは、土器や木器が大量に出土した。
土器は日常的につかう壺、甕(かめ)、高杯(たかつき)などさまざまな種類。吉備や山陰、河内
、近江、東海、北陸といった各地の土器も搬入されており、巻向遺跡と変わらない。
 一方木器については土木工事に使われたと考えられる鋤(すき)が1点あるが、その他は
赤く塗られた刀の柄(つか)、鞘(さや)、儀式などに使われたとされる団扇(うちわ)、火きり臼、
容器である槽、舟形などであり、日常的な道具というよりは、祭りや儀式に関わる道具と考えられる
ものが目立つ。
 ホケノ山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳の周濠では、部分的な調査しか行われていないが、
土器は出土するが、木器はほとんど出土していない。
一方石塚古墳の周濠からは土器とともに木器も多く出土してる。

勝山古墳(墳丘墓)

3世紀代に築造されたと考えられる大型墳墓です。
纒向石塚古墳と同様に、定型化した前方後円墳が出現する以前に築造された可能性が考えられてい

ます。埋葬施設の内容は不明ですが、墳丘の周囲をめぐる周濠状の遺構からは土器や木製品が多数

出土しており、なかには建築部材やU字形木製品など特異なものも含まれていました。
これらの遺物は、
古墳出現期における墳墓祭祀を知る上で貴重な資料となっています。

yatuka
纏向矢塚古墳地図

 
 纏向矢塚古墳は、西面する全長約96m、古墳時代前期の前方後円墳で、
墳丘の築造企画が纏向石塚・纏向勝山・東田大塚・ホケノ山などの古墳と
同じ企画を持つ纏向型前方後円墳の一つと考えられている。
 昭和47年に周濠の一部が調査されて、幅17m~23m、深さ60cmの濠を
持つことが確認された。
また、この時の出土土器より、箸墓古墳より先行する可能性も高くなっている。
 前方後円形の墳丘をもつ大型墳墓 発掘調査により後円部は南北約56m、東

西約64mとやや東西に長い形態であることが判明しました。
周濠状遺構より出土した土器などか
ら、
定型化した前方後円墳が出現する以前の3世
紀中頃の築造と考えられています。

後円部径と前方部長の比率が2:1となる「巻向型前方後円墳」の一例であり、
纒向石塚古墳ととも
に前方後円墳の出現を考える上で重要な墳墓であると

いえるでしょう。

higasida
東田大塚古墳 地図

 
 東田大塚古墳は、後円部の高さ約7mの古墳時代前期の
前方後円墳で、墳丘の築造企画が纏向石塚纏向勝山纏向矢塚ホケノ山
などの古墳と同じ企画を持つ纏向型前方後円墳の一つと考えられている。
詳しい調査が行われていないため、築造の時期や主体部の内容・周濠など、
詳細は不明だが、地元では後円部墳丘より石製の椅子が出たとの
伝承を持ち、纏向古墳群の中で、墳丘の残りの最も良いものである。

墳丘全長約120mの前方後円墳。現在は南西にのびる前方部が大きく削られていますが、
纒向
遺跡では箸墓古墳に次ぐ墳丘規模をもっています。

埋葬施設の内容は不明ですが、古墳築造前後の遺構が確認されており、
箸墓古墳とほぼ同時期であ
る3世紀後半頃に築造されたと考えられます。

纒向遺跡ではホケノ山古墳とともに、築造時期が限定できる数少ない古墳の一つであり、
出現期の前
方後円墳の形態を知ることができる貴重な資料であるといえるでしょう。 





メクリ1号墳地図

 
 3人立っているそれぞれの場所が、
方形周溝墓の中央部、奥の山は三輪山

 女王·卑弥呼が治めた邪馬台国の有力候補地の一つ

とされる桜井市の纒向遺跡(国史跡, 3世紀初め~4

世紀初め)にあるメクリ1号墳の周囲で3基の方形周

溝墓が見つかった。市纒向学研究センターが6日発表

した。センターは「メクリ1号墳の被葬者に近い人物

の墓の可能性がある」としている。

JR巻向駅のそばにある前方後方墳、メクリ1号

墳(全長28m)の東側の南北約24 m、東西約19m

の範囲を調査。3基は最も大きいもので東西約9

m、南北約8 . 5mだっ た。3世紀前半から半ばに

かけてつくられたとみられる。いずれも墳丘は削ら

れ、埋葬施設は残っていなかった。

方形の墳丘の周りを溝が巡るのが方形周溝墓。過去

の調査でもメクリ1号墳の周囲から3基の方形周溝墓

や木棺墓4基を確認している。纒向遺跡の纒向石塚古墳

(約99 m)やホケノ山古墳(約80 m)などの前方後円

墳の周囲からも方形周溝墓が見つかっている。古墳の

大きさや形の違いから、センターの寺沢薫所長は「メ

クリ1号墳の被葬者は一帯を治めた王権内の中堅クラ

スの人物で、方形周溝墓はその被葬者の血縁や仕えた

人物の墓の可能性がある」と話す。

現地は纒向遺跡のガイダンス施設の建設予定地。市

はメクリ1号墳の復元も検討している。現地説明会は

11日午前10時から。
問い合
わせはセンター(0744 45 .0590  
2017-11-7朝日新聞.
(田中祐也)
































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