ホケノ山古墳地図

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 日本最古の古墳とされるホケノ山古墳であるが、
徳山県鳴門市の萩原墳墓群2号墓がその原型とされる。
同様のものが岡山県倉敷市の盾築(たてつき)墳丘墓にもある。
 棺を納めた小部屋「木槨(もっかく)」を石積みで囲む竪穴式の構造が似ている。
 三角縁神獣鏡の副葬が始まる前の時代の古墳、または、弥生墳丘墓。
埋葬施設は、木槨と石槨からなる内外二重構造の槨に木棺
を納めたものであった。
 槨:棺を収納し、保護保護するための埋葬用施設のことをいう。
 全長80m、後円部直径60mの前方後円墳。。
 古墳の主人を葬った主体部は、後円部中央に設けられた「石囲い木槨」です。「石囲い木槨」は
わが国で初めて確認された特殊な構造の埋葬施設で、木材でつくった「木槨」の周囲に、河原の
石を積み上げて「石囲い」をつくるという、二重構造をもっています。「石囲い」の上部は木材で

天井とし、その上に大規模な積石を行います。「石囲い」部分は、内法で長さ約7m、幅約2.7mで、

高さは現状で約1.1m、本来の高さは1.5m程度と考えられます。「石囲い木槨」の内部には、長さ約

5mのコウヤマキ製の長大な刳抜式木棺をおさめていました。この古墳の主人の遺骸は、木の棺、

木の部屋、石の部屋によって幾重にも厳重に包み込まれていたのです。埋葬施設の上部には石を

積んだ長方形の壇があったと推定され、このまわりにはさまざまな文様で飾った二重口緑壷を、

ほぼ一定の間隔で長方形に並べていました。

2009-5-29朝日新聞より 墳丘頂上から見た三輪山








前方部東斜面検出の埋葬施設 ホケノ山古墳と箸墓古墳
ホケノ山古墳を築く労働力は延べ4万5千人と言われているが、箸墓古墳は135万人とケタの違う労働力を要した。
 ホケノ山古墳の周囲には纏向遺跡がひろがっています。
纏向遺跡は東西約2km南北1.5kmの古墳時代前期の大きな集落遺跡であり、
初期ヤマト政権発祥の地として、あるいは北部九州の緒遺跡群に対する邪馬台国、東の候補地として著名な遺跡です。
この遺跡は3世紀初めに出現し、およそ150年後の4世紀中頃には消滅してしまいます。
遺跡の中には箸墓古墳を代表として、纏向型前方後円墳と呼ばれる石塚古墳・矢塚古墳・勝山古墳・東田大塚古墳・
ホケノ山古墳の6基の古式の前方後円墳があります。これらの古墳は、
その築造時期が何れも3世紀に遡るものと考えられており、
前方後円墳で構成された日本最古の古墳群と言われています。
古墳   中平銘鉄刀と七支刀 ホケノ山古墳 
 崇神天皇の皇女である豊鋤入姫命の陵墓と伝わる。 
石塚・勝山・大塚・東田大塚古墳 箸墓古墳