紫香楽宮(しがらきのみや)地図
天平13年(743)聖武天皇の決断により恭仁京の造営が中止されると、それまで離宮であったこの地で大仏造営の詔(みことのり)をだした。紫香楽宮が 実質的に首都としての役割を果たすようになった。しかし、地震や山火事などが相次いだため、結局3年後には平城京へ再び都が移された。大仏も現在の東大寺に建造された。 紫香楽宮は聖武天皇が大仏建立を発願した地であり、その礎石配置は東大寺とよく似ていると言われ、宮町遺跡からは長大な建築跡や7000点もの木簡が発見されている。 宮跡は当初、甲賀市黄瀬・牧地区にあったとされ、国史跡となったが、近年の調査で宮町遺跡が実際の所在地と考えられるようになり、史跡の範囲も広がった。 |
平城京 710〜740年 恭仁京 740〜744年 難波宮 744年 紫香楽宮 745年 平城京 745〜784年 長岡京 784〜794年 平安京 794年 |