31 衾道を 引手のやまに

歌 柿本人麻呂
  巻2−212
筆 犬養孝

地図
衾道乎
引手乃山尓
妹乎置而
山徑往者
生跡毛無
ふすまじを
ひきてのやまに
いもおきて
やまじをいけば
いけりともなし
衾道を
引手の山に
妹を置きて
山路を行けば
生けりともなし
 引手の山に妻の屍を葬っておいて山路を帰ってくると悲しくて生きた
心地もしない。

 世間の目を避けて、穴師か、車谷方面の巻向川に臨む家に隠し住ま
わせた妻であっただけに死なれると、ひとしお哀れさが心にしみたで
あろう。
 最愛の人はみどり児を残して死んでいった。長歌では、子供を抱いて
途方に暮れる人麻呂の姿がある。長歌⇒⇒⇒  、軽のチマタ⇒⇒⇒
 衾道は継体天皇の皇后、手白香皇女の陵と伝えられる衾田陵あたりの山路。
人麻呂の妻が、龍王山麓の衾田陵の近くに埋葬されたことはこの近くの小豪族の出身であることを窺わせる。

 現在は衾田陵(西殿塚古墳)の築造年代は、
考古学的に手白香皇女の墓とは異なることが
確認されました。西山塚古墳⇒⇒⇒
 山の辺の道に沿う龍王山(586m)が、柿本人麻呂の妻を葬った引手の山である。引手の山とは、穴師山につづいて東方にそびえる龍王山のことである。龍王山は、三輪山と巻向山との中間にある。地図の倍率を変えて確認願いたい。
碑は龍王山を背に建っている。
長岳寺
 山の辺の道、桜井と天理の中間にある。このあたりを長岡釜ノ口という。岳は「おか」とも読めるので、長岡を長岳と書きかえたのだろう。釜ノ口は、倭建王の御子、釜見王の廟所の名からとったらしい。長岳寺は一名、釜ノ口寺ともいう。
 「万葉集」には、柿本人麻呂が妻を失った後の歌が、何種類か残されている。
 その内の一つに、妻を引き手の山(竜王山系の一つと思われる)に埋葬したときのものがある。衾(ふすま)と呼ばれる所だったでしょうか。
 私はある時、この場所に立って竜王の山並み7を仰ぎ見たことがありました。山やまがけわしく連なって天空をさえぎっています。
この大山魂は伊賀、甲賀を包み込み、幾重にも重なって伊勢の海近くまで広がっている。
 ここを死者がさまよってしまえば、もうどこえ紛れ込んだのか、わからない。他人(ひと)は、妻は引手の山中にいると占ってくれるのだが。
 この時代には、降りしきる紅葉や落花が人の視野をまぎらわせ、命を奪うと考えられていた。彼は途方に暮れて、あまりにも激しく黄葉した木々が、
妻を隠してしまったと思うばかりであった。
 2014-11-8 朝日新聞 中西進 より
















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西殿塚古墳(衾田陵) 龍王山