国津神社地図
慶運寺地図
素戔嗚神社地図
薬師堂
白山神社

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国津神社

 
 
   

国津神 社(大字箸中字湯屋垣内)

 当国津神社の境内は、古来より「地主の森」といい、天照大神

御子神五柱を祭神としています。

 この男神五柱は、『記紀』神話によると、素戔嗚尊が天照大神と天

の安河を中にはさんで誓約をしたとき、天照大神の玉を物実(ものざね)
として成り出でた神であります。

 ちなみに巻向川下流の芝の国津神杜(九日神社)には、素戔鳴尊の

剣を物実として生まれた奥津島比売市杵島比売多岐津比売の三女

神を祭祀しています。

 この著中と芝で、神の山三輪山を水源とする巻向川をはさみ、二神

の警約によって成り出でた神をそれぞれ祭神としていることに、古代

伝承の原景をみる思いがし、敬神の念を禁じ得ません。

 なお古来より毎年八月二十八日には、大字著中と芝が相集い、三輪

山の麓に鎮座する桧原神社(祭神,天照大神)の大祭を執行しています。

 また『日本書紀』崇神天皇六年の条に「天照大神・倭大国魂二神を、

天皇の大殿の内に並祭る。然して其の神の勢を畏れりてともに住みたま

ふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、

倭の笠縫邑に祭る」とあり、ここ箸中の東、三輪山麓の桧原の地は
天照大神の伊勢鎮座以前の宮居のあった笠縫邑の伝承地となっていま
す 。

 天照大神の祭祀に奉した豊鍬入姫命は崇神天皇の皇女で、その墓所

が国津神社裏のホケノ山古墳であるという伝承が地元に伝わっています。

国津神社秋季大祭は十月第二日曜日

   
  金毘羅大権現   
   
 



慶運寺
     
   
 石棺仏  石棺仏の後側 
阿蘇ピンク石で作られている石棺仏 

慶運寺裏古墳と石棺仏

 後世の開発によって墳丘が改変され、墳形は不明

であるが、南面する円墳と考えられる。石室は乱石

積によって構築された両袖式の横穴式石室で、長さ

約三m、幅一·八m、高さ約ニm、羨道の一部は削

り取られている。本堂の西側には、建治型と呼ばれ

弥勤菩薩を刻んだ刳抜式石棺の身があるが、慶運

寺周辺にはかって六基前後の後期古墳が存在してい

たようで、いずれの古墳に属していたか、はっきり

しない。

桜井市教育委員会

 




素戔嗚神社
     
 

素戔鳴神社(祇園さん)

 ご祭神 素戔鳴尊天照大神の弟神で大国主神(三輪明神のご祭神)の親神様です。

元気 勇気優しさの神「ぎおんさん」と云う呼び名で親しまれ老檡三本(樹令「一二00年)の
森の中に悠久の音から祭られ信仰されています。

祭日

一月七日(綱掛け祭り)四月七日(春祭)七月七日(祇園さん) 十月七日(秋祭)

 

   
薬師堂

 正面、南向きのお堂の中に、十二神将の御仏に囲まれてお薬師様がお座りになって、
私たちの無事を見守ってくださっています。

 毎月八日、村の有志の女性たちによってお祀りされ一、四、七、十月の八日には、
平等寺の和尚の招来を得て、私たちみんなの安泰を祈念しています。

白山神社

 この地域は、古くから加賀白山の信仰も篤く、 白山大神を祀り、祭礼は氏神社と併せ
て祭祀 しています。

 庚中、愛宕、金比羅大権現は「歯定さん」といって歯痛に霊験がある と信仰されてい
ます。

   

磐座の由来

 座を(くら)と読んで磐座(いわくら)と申します。

古代祭祀の形態を伝えている貴重な岩石であります。

古代に在って、その土地の人々が神を祭るのに、時
に応じ一定の場所を定めて神域とし、自然の岩石を
神の鎮まり坐す処として、そこに祭神を招き迎えて祭
ったのが磐座祭祀であります。

その歴史は古く、その起原は神代の昔に溯ります。

今もその伝統のままに祭られて居るのが、日本最古
の神社と云われる大神神社であります。:

 御神体の三輪山には、多数の磐座が存在してい
ます。