喜光寺(きこうじ)地図

勢至菩薩 阿弥陀如来像(重文) 観自在菩薩
ご本尊阿弥陀如来像は平安時代後期の造像で、
丈六の阿弥陀如来座像である。
南大門
  南大門の復興には山田住職が「いろは写経」での勧進がなされ、30万巻を超えた。
金剛力士阿形像(あぎょうぞう)と吽形像(うんぎょうぞう)が安置。
文化功労者の彫刻家中村晋也氏の作。
本堂(重文)
 法相宗薬師寺の別格本山。
弁天堂
 養老5年(721)天平の僧、行基(668〜749)によって創建された。
(行基5番目の創建)
 この地は平城京の右京三条三坊に当たり菅原の里といわれ、
寺名も菅原寺と呼ばれていた。
 行基は東大寺造営に当たり、この寺の本堂を参考にした事から、
本堂は「大仏殿の試みの堂」としても知られている。
 今の大仏殿と比べると、正面中央に飛び出た丸い屋根、唐破風がない。
大仏殿は江戸時代に再建されたもので、以前の姿は喜光寺の本堂に似
ていたものと思われる。
 屋根には裳階(もこし)という飾り屋根があり、二重になって2階に見えるが
1階建ての建物。
 天平20年(748)、聖武天皇は菅原寺に御幸された折り、
ご本尊より不思議な光明を感得され、
そのことを喜ばれ、「喜光寺」の寺額を与えたという。
以後菅原寺を喜光寺と改名したといわれている。 
 本堂は室町時代初期(1400頃)に再建された。
宇賀神象
 弁財天の化身といわれ、池に浮かぶ弁天堂に祭られている。
直径30cmで高さは33cmあり、5重にどくろを巻いた蛇体の首から上が
老人の顔をしている石造。(秘仏)
 境内にはハスが多くあり、7月中旬は見ごろとなる。
 近くには菅原天満宮がある。

 喜光寺(奈良市菅原町)の宇賀神像は、弁天堂のご神体として厨

子の中に安置されている秘仏です。8月16日まで特別開扉されて

います.

喜光寺は奈良時代の僧、行基(668〜749)が開いたとい

われています。高次喜勝副住職( 29 )によると、寺はその後、没落

したのですが、「鎌倉時代、西大寺中興の祖とされる叡尊さまが復

興してくださった」。宇賀神像はそのころ、相模国、江の島の弁財

天から迎え入れたと伝わっています。

とぐろを巻いた蛇が鎌首を持ち上げ、その頭はひげをたくわえた

老翁の顔をしています。稲の大敵であるネズミを捕らえる蛇は、穀

物を守り、福を授ける存在として神格化されたといいます。実りを

もたらす神様です。

高次副住職は「『人頭蛇身』と言うと、怖いイメージがあるかも

しれませんが、実際に見ると、愛らしいお姿です」と言います。

宇賀神像特別開扉の期間中「奈良・西ノ京ロータスロード」

が実施されています。仏教と深い関係のあるハス(ロータス)を育

てる奈良・西ノ京の喜光寺、薬師寺、唐招提寺が共通拝観券やオリ

ジナルの朱印帳を作っており、ハスの花の観賞とお寺巡りを呼びか

けています。
2017−6−23 朝日新聞より


行基菩薩坐像 仏足石 釈迦初転法像
天平21年(749)2月2日、
当寺の東南院に於いて行基菩薩は
入寂(にゅうじゃく・僧が死ぬこと)された。
 行基の命日の法要が2日行われる。本堂に肖像画を掲げ、
住職らが読経する。東大寺の建立をすすめたこと、畿内に49
の寺を創建したことなどをたたえる。
万葉歌碑
大き海の水底ふかく思ひつつ
 裳引き平らしし菅原の里
石川女郎 巻20 4491
山田徳治 書

 喜光寺(奈良市菅原町)の宇賀神像は、弁天堂のご神体として厨

子の中に安置されている秘仏です。8月16日まで特別開扉されて

います.

喜光寺は奈良時代の僧、行基(668〜749)が開いたとい

われています。高次喜勝副住職( 29 )によると、寺はその後、没落

したのですが、「鎌倉時代、西大寺中興の祖とされる叡尊さまが復

興してくださった」。宇賀神像はそのころ、相模国、江の島の弁財

天から迎え入れたと伝わっています。

とぐろを巻いた蛇が鎌首を持ち上げ、その頭はひげをたくわえた

老翁の顔をしています。稲の大敵であるネズミを捕らえる蛇は、穀

物を守り、福を授ける存在として神格化されたといいます。実りを

もたらす神様です。

高次副住職は「『人頭蛇身』と言うと、怖いイメージがあるかも

しれませんが、実際に見ると、愛らしいお姿です」と言います。

宇賀神像特別開扉の期間中「奈良・西ノ京ロータスロード」

が実施されています。仏教と深い関係のあるハス(ロータス)を育

てる奈良・西ノ京の喜光寺、薬師寺,唐招提寺が共通拝観券やオリ

ジナルの朱印帳を作っており、ハスの花の観賞とお寺巡りを呼びか

けています。