黒塚古墳地図
古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)古墳と推定され、古墳の規模は現状で全長130m 、後円部径約80m、前方部幅約60m周濠あり、 の前方後円墳。オオヤマト古墳群では第9位の大きさである。 また、行燈山古墳(崇神天皇陵)を中心とする柳本古墳群の中で、最初に築かれたとされる。 柳本公園の一角にあり、周辺は池に囲まれている。
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南 |
発掘当時から想像出来ないほど、 この様に整備された。 |
竪穴式石室後円墳上部、手前が南で、 西側(左)が前方となる。 石室を模したタイルが敷き詰められている。 石室は埋め戻され精巧な複製が展示館置 かれている。 |
29号、三角縁神獣鏡のレプリカ。 重さ約1kg、同じ成分で作ってあり、 当初はこの様な輝きであったと推定される。 自由に手にして、感触を味わえる。 |
古墳の周辺は、楊本公園(やなぎもと) になっている。 |
古墳の周辺は、楊本公園になっており、 公園の一角に黒塚古墳展示館がある。 |
展示館利用案内 開館時間:午前9時〜午後5時まで 休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始(12月28日から翌年1月4日) 入館料:無料 交通:JR桜井線柳本駅から東方面徒歩5分 電話:0743−67−3210 館内写真撮影:自由 |
1997〜98年に三角縁神獣鏡国内最多の 33面が見つかった。 これは邪馬台国の女王卑弥呼が魏から送ら れたとされる。 三角縁神獣鏡33面の他、三角縁神獣鏡より むしろ貴重とされる画文帯神獣鏡1の レプリカも展示されている。 |
平成9,10年の2ヵ年をかけて調査が行われ、後円部では長大な 竪穴式石室が明らかになり、副葬品も、卑弥呼の鏡とされる、 三角縁神獣鏡(33面)を中心として多数出土した。 この鏡は三世紀に中国で作られ、列島にもたらされたと考えられる。 全長200m以上ある京都府の椿井大塚山古墳には、34面の神獣鏡 があった。山城国最大のこの古墳に続き、黒塚古墳の神獣鏡保有数は、 第2位である。 黒塚古墳の三角縁神獣鏡と同じ鋳型で作った鏡が、 日向国から毛野国(群馬)までの全国39箇所から出土している。 邪馬台国にあって、鏡を配布した主人公とする意見もあり、 この見解にたてば、黒塚古墳の被葬者は、 39地域の王たちとつながりがあったことを暗示している。 一方、椿井大塚山古墳出土の同型鏡は、 九州北部から関東中部までの20箇所以上から出土している。 竪穴式石室は、後円部の中央に前方後円墳の主軸に直交して作 られていた。 全長約8.3mの長大な規模で、川原石と板石を用いた合掌式の特殊な 石室である。 石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた木棺が 使用された。 |
黒塚古墳南東にも、23枚もの銅鏡が出土した古墳がある。神社の 裏庭になっている天神山古墳である。 |
黒塚古墳は、中世「クロズカトリデ」となり、 楊本城・柳本本陣の一廓に活用されるなどの 歴史があり、形状は著しい変形をうけている。 古墳の近くの道路には坂がみられるが、 本陣はこの坂を利用して、外から内部を窺がう ことを防いだ。 |
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織田長益(有楽斉)の5男尚長が陣屋を構えた。 明治4年(1871年)の廃藩置県で柳本藩が廃止されるまで、255年間当地を治めたところの ささやかな城下町である。 |
黒塚古墳を通り崇神天皇陵へ⇒⇒⇒ | JR柳本駅から | ||
全動画⇒⇒⇒ | 天理から桜井の順⇒⇒⇒ |
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