櫛山古墳地図

 祟神天皇陵(行燈山古墳)の後円部周壕に隣接(東側)している。
 櫛山古墳は、古墳時代前期後半(4世紀後半)に築造された全長148m、中円部径90m、
前方部幅約60m、竪穴式石室、長持形石棺、周濠有、の大型古墳である。
墳形は、東西に主軸をもつ前方後円形を基調とするが、
前方部とは反対側の後円部先端にも前方部に匹敵する大形の祭壇を伴うため、双方中円墳と呼ばれている。
中円部の頂上に築かれた竪穴式石室は、すでに撹乱を受けていたが、
全長7.1m、幅1.4mの南北に主軸をもつ埋葬施設で、扁平な石材を用いて石室の側壁を築いている。
櫛山古墳の西側には全長242mの巨大前方後円墳、行燈山古墳(崇神天皇陵)がある。
 古墳⇒⇒⇒
黒塚古墳 景行天皇陵 崇神天皇陵 長岳寺 天神山古墳 櫛山古墳 シュロ塚古墳

上の山古墳

 境内には水口神社がある。神社を除き宮内庁が陪塚として管理している。全長140m、後円部84m、前方部幅56mとけいそくされているが、
もとはもっと大きかったと思われている。
 平成6年に橿原考古学研究所が前方部西側を発掘調査、幅28mの周濠を発見した。
出土品などから古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と見られている。








石名塚古墳

 古墳の東側を上街道が通り、墳丘には家屋が建っていて原形は変わっているが、全長111mの前方後円墳である。
前期古墳の一つで、周濠跡や埴輪が確認されている。南側には新池があり、西門川(さいもん)とつながっている。











柳本大塚古墳

 渋谷向山古墳から西に500m行くと、上街道に出る手前に柳本大塚古墳がある。南北方向に主軸を置く前方後円墳である。
上街道と平行して南北に全長94mの前方後円墳である。前方部の幅があまり広がらないのが特徴であるが、全体的に変更されていて
、もともとの形は不明な点が多い古墳である。明治、大正時代に後円部の竪穴式石室が発見され、長さ3,6mの割石積の石室と小石室
があり、その小石室から木棺と径39.7mの内行花文鏡が出土した。木棺は三輪の大神教会に現存している。
 古墳は前期前半ごろの築造である。











ザクロ塚古墳

 崇神天皇のい号陪塚古墳。全長15mで宮内庁管理。


















与楽キタヤマ1号墳

 
調査員が指をさしているところが石槨の床石、左手前の巨石は羨道の側石
 

高取町の与楽(ようらく)古墳群で、1体分の棺を納める横口式石槨を持つ方墳が新たに見つかった。
町教育委員会は
与楽キタヤマ1号墳と名付け、13日発表した。専門家は「横口式石槨は後に天皇

クラスの墓にも採用される。広がる過程を考える上で貴重」と話す。与楽古墳群は古墳時代後期の古墳100基以上が点

在。与楽鑵子塚古墳、与楽カンジョ古墳、寺崎白壁塚古墳は国史跡に指定されている。渡来系氏族、東漢氏の墓とみられている。

与楽キタヤマ1号墳は一辺約13 . 5Mの方墳。墳丘部分は残っていない。築造7世紀中ごろとみられる。
棺を置く石槨は長さ
2.22Mm幅80cm石英閃緑岩の床石が3枚見つかった。
羨道(通路)は長さ約2 . 5m、幅約1mで、床
石と側石が見つかった。

白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)によると、横口式石槨は7世紀ごろに渡来系氏族によって大阪府羽曳野市を中心
とする河内飛鳥にもたらされた。その後、飛鳥の東漢に伝わったと考えられるという。
8世紀初めになる
と、横口式石槨は文武天皇の墓の可能性がある中尾山古墳(明日香村)で採用されるなど、さらに広がったとみられる。
白石館長は

「飛鳥地域で横口式石槨の初期の事例は寺崎白壁塚古墳しかなく、重要な資料になる」と話す。現場は埋め戻され、現地説明会はない。


2017−4−14 朝日新聞

















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