10 狭井河よ 雲立ち渡り
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神武天皇の皇后媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすず)姫の宮があり、天皇はそこで 「芦原の醜(しけ)こき小屋にすが畳いささやしきて吾二人寝し」とうたったと古事記に出ている。 そのとき「狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ風吹かむとす」とも。 その狭井川が石標のほとりを流れる小川だと伝承されている。
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歌 伊須気余里比売 古事記 筆 月山貞一 地図 |
佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 如是布加牟登須 |
さいがわよ くもたちわたり うねびやま このはさやぎぬ かぜふかむとす |
狭井河よ 雲立ち渡り 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす |
伊須気余里比売 | ||
降臨 | 大物主の神の御子 | 遷都 |
葦原のしけしき | 多神社 | 神武東征 |
王権を確立した崇神天皇 | 山の辺の道(東山魁夷) |
狭井河の方から雲が立ち起こって、 畝傍山の樹の葉が騒いでいる。 風が吹き出しますよ。 神武天皇がお隠れになってから、その庶兄の当芸志美美の命が、皇后の伊須気余理比売に言い寄るのであるがその時に、三人の皇子たちを殺そうとして謀ったので、母君の伊須気余理比売がご心配になって、歌でこの事を御子たちにお知らせになりました。 神武天皇の皇后の伊須気余理比売の歌で、叙景歌であるが、危急を知らせる風刺歌である。「風吹かむとす」は危険が迫っていることの隠喩。 (神武天皇が日向の地にいた時に、先妻との間に当芸志美美の命と岐須美美命の二人の御子をもうけていた。) |