古事記にでてくる神々(神代の巻)



造化三神
別天神(ことあまつかみ)
天孫降臨に関係する神
海幸彦・山幸彦神話にでてくる神
天石屋戸前に集える神
国譲り・国土平定神話にでてくる神
黄泉国の神
賀茂氏神系
神世七代
黄泉国から帰った伊邪那岐神が禊祓をした折、投げたものから化生した神
伊邪那岐神が禊のときに化生した神
伊邪那美神の死体より化生した神
大国主命妻・父・母・子
素戔嗚尊(建速須佐之男神)の妻・子
神代三代
国生み六島
大八洲(島)
伊邪那美神の死後、伊邪那岐神のみより生まれた神
家宅をあらわす六神
伊邪那岐神と伊邪那美神の間にできた島・神
水戸神二神
海の神三神
出雲神話に出てくる神

造化三神

生まれた順位 神名 よみかた 別名
天之御中主神 あめのみなかぬし 別天神(ことあまつかみ)
高御産巣日神 たかみむすび 高皇産霊尊・高木神(たかぎ)
神産巣日神 かみむすび 神皇産霊尊




別天神(ことあまつかみ)

生まれた順位 神名 よみかた 別名
天之御中主神 あめのみなかぬし 造化三神
高御産巣日神 たかみむすび 高皇産霊尊・高木神(たかぎ)
神産巣日神 かみむすび 神皇産霊尊
宇麻志阿斯訶備比古遅神 うましあしかびひこち
天之常立神 あめのとこたち










天孫降臨に関係する神

生まれた順位 神名 よみかた 別名 降臨・石屋のはたらき 地上のはたらき、
及びその後
61 思兼神 おもいかね 八百万の神々の総意を代表して
石屋戸の前の祭りの計画を考案
天照の御子の治
められる種々の
ことを取扱う
63 伊斯許理度売命 いしこりどめ 石凝姥命 八咫鏡を作った 鏡作りの祖先
64 玉祖命 たまおや 八尺勾玉を作った 玉祖の祖先
65 天児屋命 あめのこやね 石戸の前で祝詞を唱えた 中臣の祖先
66 布刀玉命 ふとたま 天太玉命(あめのふとたま) 鏡や玉を掛けた榊を捧げ持った 忌部の祖先
67 天手力男命 あめのたじからを 天照の手を取って石戸から引き出した 佐那の地
68 天宇受売命 あめのうずめ 天鈿女命 女性器を露出して踊った
・猿田彦に道を開かせた
猿女の君の祖先
115 猿田毘古神 さるたひこ 猿田彦神 天孫の先導役をつとめた 貝にはさまれ、
溺れた
116 天石門別神 あめのいわちわけ 櫛石窓神(くしいわまど)・豊石窓神(とよ) 石屋戸そのものの神格化とされる 御門の神
118A 天忍日命 あめのおしひ 頑丈な靱を背負い、頭椎の大刀を佩き、
天の波士弓を持ち、
天の真鹿児矢を手挟んで天孫の前に立って
護衛した
大伴の祖先
118B 天津久米命 あまつくめ 久米の祖先








海幸彦・山幸彦神話にでてくる神

生まれた順位 神名 よみかた 別名 火遠理命(山幸彦)
121A 塩椎神 しおつち 塩土老翁(しおつちのおきな)  塩椎神は海神の宮に至る道筋や着いてからの行動まで、親切に教えた上で火遠理命を海へ送り出してくれた。
121B 佐比持神 さひもち







天石屋戸前に集える神

生まれた順位 神名 よみかた 別名 石屋のはたらき 地上のはたらき、
及びその後
62 天津麻羅 かぬちあまつまら 鍛冶屋
63 伊斯許理度売命 いしこりどめ 石凝姥命 八咫鏡を作った 鏡作りの祖先
64 玉祖命 たまおや 八尺勾玉を作った 玉祖の祖先
65 天児屋命 あめのこやね 石戸の前で祝詞を唱えた 中臣の祖先
66 布刀玉命 ふとたま 天太玉命(あめのふとたま) 鏡や玉を掛けた榊を捧げ持った 忌部の祖先
67 天手力男命 あめのたじからをのみこと 天照の手を取って石戸から引き出した 佐那の地
68 天宇受売命 あめのうずめ 天鈿女命 女性器を露出して踊った 猿女の君の祖先








国譲り・国土平定神話にでてくる神

生まれた順位 神名 よみかた
109A 伊都之尾羽張神 いつのをははりのかみ
41 建武雷之男神 たけみかずちのをのかみ
109B 天迦久神 あめのかくのかみ
117A 手置帆負神 たおきほおいのかみ
117B 彦狭知神 ひこさしりのかみ
117C 天目一筒神 あめのまひとつのかみ
117D 天日鷲神 あめのひわしのかみ
117E 櫛明玉神 くしあかだまのかみ







黄泉国の神

生まれた順位 神名 よみかた
46 豫母都志許売 よもつしこめ 黄泉国の女神
47 意富加牟豆美命 おおかむづみのみこと 豫母都志許売を追い払った桃
49 塞坐黄泉戸大神 さやりますよみとのおおかみ







賀茂氏神系

生まれた順位 神名 よみかた
106A 神魂命 かみむすびのみこと
106B 賀茂建角身命 かもたけつぬみのみこと
106C 建玉依比古命 たけたまよりひこのみこと 賀茂県主
106D 建玉依比売命 たけたまよりひめのみこと
104D 大山咋神 おおやまくいのかみ 丹塗矢(にぬりや)・山末之大主神(やますえのおおぬし)・鳴鏑神(なるかぶら)
106E 賀茂別雷命 かもわけいかずちのかみ










神世七代(かみよななよ)

生まれた順位 神名 よみかた 別名
国之常立神 くにのとこたちのかみ
豊雲野神 とよくもぬのかみ
宇比地邇神 うひちにのかみ
須比智邇神 すひちにのかみ
角杙神 つのくいのかみ
活杙神 いくくいのかみ
10 意富斗能地神 おおとのちのかみ
10 大斗乃弁神 おおとのべのかみ 大苫辺尊(おおとまべのみこと)
11 淤母陀琉神 おもだるのかみ 面足尊
11 阿夜訶志古泥神 あやかしこねのかみ 惶根尊
12A 伊邪那岐神 いざなぎのかみ 伊弉諾尊
12B 伊邪那美神 いざなみかみ 伊弉冉尊





黄泉国から帰った伊邪那岐神が禊祓をした折、投げたものから化生した神

生まれた順位 神名 よみかた
50A 衝立船戸神 つきたつふなどのかみ
50B 道之長乳歯神 みちのながちはのかみ
50C 時置師神 ときおかしのかみ
50D 和豆良比能宇斯能神 わずらひのうしのかみ
50E 道俣神 みちまたのかみ
50F 飽咋之宇斯能神 あきぐいのうしのかみ
50G 奥疎神 おきざかるのかみ
50H 奥津那芸佐毘古神 おきつなぎさひこのかみ
50I 奥津甲斐弁羅神 おきつかいべらのかみ
50J 辺疎神 へざかるのかみ
50K 辺津那芸佐毘古神 へつなぎさひこのかみ
50L 辺津甲斐弁羅神 へつかいべらのかみ







伊邪那岐神が禊のときに化生した神

生まれた順位 神名 よみかた 別名
51A 八十禍津日神 やそまがつひのかみ
51B 大禍津日神 おおまがつひのかみ
52A 神直毗神 かむなおびのかみ
52B 大直毗神 おおなおびのかみ
52C 伊豆能売神 いずのめのかみ
53A 底津綿津見神 そこつわたつみのかみ
53B 中津綿津見神 なかつわたつみのかみ
53C 上津綿津見神 うわつわたつみのかみ
54A 底筒之男命 そこつのおとこのみこと
54B 中筒之男命 なかつつのおとこのみこと
54C 上筒之男命 うわつつのおとこのみこと
55 天照大神 あまてらすおおみかみ
56 月読神(命) つきよみのかみ
57 建速須佐之男神(命) たけはやすさのおのみこと 素戔嗚尊









伊邪那美神の死体より化生した神

生まれた順位 神名 よみかた 別名
45 八雷神 やくさのいかずちがみ 大雷(おおいかずち)
火雷(ほのいかずち)
黒雷(くろいかずち)
柝雷(さく)
若雷(わさ)
土雷(つち)
鳴雷(なる)
伏雷(ふし)









大国主命妻・父・母・子

生まれた順位 神名 よみかた 別名
80 大国主神(命) おおくにぬしのかみ 大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)
葦原色許男神(あしわらもこをのかみ)
八千矛神(やちほこのかみ)
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
大物主神(おおものぬしのかみ)
58A 多紀理毘売命 たぎりひめのみこと 大国主命の妻、素戔嗚尊の子
79A 天之冬衣神 あめのふゆぎぬのかみ 大国主命の父
79C 刺国若比売命 さしくにわかひめのみこと 大国主命の母
83 八上比売命 やがみひめのみこと 大国主命の妻
85 須勢比売命 すせりひめのみこと 大国主命の嫡妻、素戔嗚尊の子
86 木俣神 きのまたのかみ 御井神(みいのかみ) 大国主命の子、八上比売命が母
87 沼河比売命 ぬまかわひめのみこと 大国主命の妻、
88A 阿遅鉏高日子根神 あじしきたかひこねのかみ 迦毛大神(かものおおかみ) 大国主命の子、多紀理毘売命が母
88B 高比売命 たかひめのみこと 下照(光)比売(したてるひめ) 大国主命の子、多紀理毘売命が母
89 神屋盾比売命 かむやたてひめのみこと 大国主命の妻
90 事代主神 ことしろぬしのかみ 大国主命の子、神屋盾比売命が母
91B 鳥耳神 とりみみのかみ 大国主命の妻、91A八島牟遅能神の子
91C 鳥鳴海神 とりなるみのかみ 大国主命の子、鳥耳神が母
111 建御名方神 たけみなかたのかみ 大国主命の子、沼河比売命が母









素戔嗚尊(建速須佐之男神)の妻・子

生まれた順位 神名 よみかた 別名
57 素戔嗚尊 すさのをのみこと 建速須佐之男神(命)
(たけはやすさのおのみこと)
伊邪那岐神が、禊のときに化生した神
58 宗像三神 むなかたさんじん 素戔嗚尊の子、十拳剣よりなりませる神
58A 奥津島比売命 おきつしまひめのみこと 多紀理毘売命 素戔嗚尊の子、大国主命の妻
58B 市寸島比売命 いちきしまひめのみこと 狭依毘売命 素戔嗚尊の子
58C 多岐津比売命 たぎつひめのみこと 素戔嗚尊の子
70 櫛名田比売命 くしなだひめのみこと 奇稲田媛尊 素戔嗚尊の妻
71A 五十猛命 いそたけるのみこと 大屋毘古神(おおやひこのかみ) 素戔嗚尊の子
71B 大屋津媛命 おおやつひめのみこと 素戔嗚尊の子
71C 枛津媛命 つまつひめのみこと 素戔嗚尊の子
72A 八島士奴美神 やしまじぬのかみ 素戔嗚尊の子、70櫛名田比売命が母
73 神大市比売命 かむおおいちひめのみこと 素戔嗚尊の妻、22大山祇神が父
74 大年神 おおとしかみ 素戔嗚尊の子、73神大市比売命が母
75 宇迦之御魂神 うかのみたまのかみ 素戔嗚尊の子、73神大市比売命が母








神代三代

生まれた順位 神名 よみかた 別名
114 天津日高日子番能邇邇芸命 あまつひこひこほのににぎのみこと 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) 神代一代、
父59A正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
母107萬幡豊秋津師比売命
120C 火遠理命 ひおりのみこと 山幸彦(やまさちひこ)
天津日高日子穂穂手見命
(あまつひこひこほほでみのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみの)
神代二代
父114瓊瓊杵尊
母119B木花之佐久夜毘売命
124 鵜葺草葺不合命 うがやふきあえずのみこと 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
(あまつひこひこなぎさたけうがやふき)
彦波瀲武鵜葺草葺不合命
(ひこなぎさたけうがやふき)
神代三代
父120C火遠理命
母122豊玉毘売命
125D 若御毛沼命 わかみけぬのみこと 豊毛沼命(とよけぬみこと)
神倭伊波毘古命(かむやまといわれひこ)
初代天皇 神武天皇
父124鵜葺草葺不合命
母123玉依毘売命
59A 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命 まさかあかつかつはやびあめのおしほみみのみこと 神代一代の父
107 萬幡豊秋津師比売命 よろずはたとよあきつしひめのみこと �栲幡千千媛(たくはたちちひめ) 神代一代の母
119B 木花之佐久夜毘売命 このはなのさくやひめのみこと 木花開耶媛命(このはなさくや)
神阿多都比売命(かむあたつひめ)
豊阿田津媛命(とよあたつひめ)
豊阿田鹿葦津姫命(とよあたかあしつ)
神代一代の妻
120A 火照命 ほでりのみこと 海幸彦(うみさちひこ)
火闌降命(ほすそりのみこと)
神代二代の兄
120B 火須勢理命 ほすせりのみこと 神代二代の兄
122 豊玉毘売命 とよたまひめのみこと 神代二代の妻
父は18A大綿津見神
123 玉依毘売命 たまよりひめのみこと 玉依姫尊 神代三代の妻
122豊玉毘売命の妹
父は18A大綿津見神
125A 五瀬命 いつせのみこと 初代天皇の兄
父は124神代三代
母は123玉依毘売命(神代三代妻)
125B 稲氷命 いなひのみこと 初代天皇の兄
父は124神代三代
母は123玉依毘売命(神代三代妻)
125C 御毛沼命 みけぬのみこと 初代天皇の兄
父は124神代三代
母は123玉依毘売命(神代三代妻)










15国生み六島

生まれた順位 神名 よみかた
15A 吉備児島 きびのこじま
15B 小豆島 あずきしま
15C 大島 おおしま
15D 女島 ひめしま
15E 知訶島 ちかのしま
15F 両児島 ふたごじま










14大八洲(島)

生まれた順位 神名 よみかた
14A 淡道之穂之狭別島 あわぢのほのさわけのしま
14B 伊豫之二名島 いよのふたなしま
14C 隠伎之三子島 おきのみつごしま
14D 筑紫島 つくしのしま
14E 伊伎島 いきのしま
14F 津島 つしま
14G 佐渡島 さどしま
14H 大倭豊秋津島 おおやまととよあきつしま









伊邪那美神の死後、伊邪那岐神のみより生まれた神

生まれた順位 神名 よみかた 別名
35 泣沢女神 なきさわめのかみ
36 石柝神 いわさくのかみ 伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った時に、剣の先についた血がたくさんの磐石についてできた神
37 根柝神 ねさくのかみ 伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った時に、剣の先についた血がたくさんの磐石についてできた神
38 石筒之男神 いわつつのをのかみ 伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った時に、剣の先についた血がたくさんの磐石についてできた神
39 甕速日神 みかはやびのかみ 伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った御刀(みはかし)鐔際(つばぎわ)についた血から生まれた神
40 樋速日神 ひはやひのかみ 伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った御刀(みはかし)鐔際(つばぎわ)についた血から生まれた神
41 建武雷之男神 たけみかずちのをのかみ 建布都神(たけふつのかみ)
豊布都神(とよふつのかみ)
伊邪那岐神が十拳(とつか)剣を抜いて迦具土神の首を切った御刀(みはかし)鐔際(つばぎわ)についた血から生まれた神
42 闇淤加美神 くらおかみのかみ 御刀より流れて手に溜まった血から生まれた神
43 闇御津羽神 くろみつはのかみ






17家宅をあらわす六神

生まれた順位 神名 よみかた
17A 石土毘古神 いわつちひこのかみ
17B 石巣比売神 いわそひめのかみ
17C 大戸日別神 おおとひわけのかみ
17D 天之吹男神 あめのふきをのかみ
17E 大屋毘古神 おおやびこのかみ
17F 風木津別之忍男神 かざけつわけのおしをのかみ













 伊邪那岐神と伊邪那美神の間にできた島・神

生まれた順位 神名 よみかた
13 蛭子神 ひるこのかみ 淡島
14 大八洲(おおやしま)
14A 淡道之穂之狭別島 あわぢのほのさわけのしま
14B 伊豫之二名島 いよのふたなしま
14C 隠伎之三子島 おきのみつごしま
14D 筑紫島 つくしのしま
14E 伊伎島 いきのしま
14F 津島 つしま
14G 佐渡島 さどしま
14H 大倭豊秋津島 おおやまととよあきつしま
淡路島 
四国
隠岐島
九州
壱岐島
対馬
佐渡島
本州
15 国生み六島
15A 吉備児島 きびのこじま
15B 小豆島 あずきしま
15C 大島 おおしま
15D 女島 ひめしま
15E 知訶島 ちかのしま
15F 両児島 ふたごじま
児島半島
小豆島
周防大島 
姫島
五島列島 
男女群島
16 大事忍男神 おおごとおしをのかみ
17 家宅をあらわす六神
17A 石土毘古神 いわつちひこのかみ
17B 石巣比売神 いわそひめのかみ
17C 大戸日別神 おおとひわけのかみ
17D 天之吹男神 あめのふきをのかみ
17E 大屋毘古神 おおやびこのかみ
17F 風木津別之忍男神 かざけつわけのおしをのかみ
18 海の神三神
18A 大綿津見神 おおわたつみのかみ
18B 速秋津日子神 はやあきつひこのかみ 水戸神二神
18C 速秋津比売神 はやあきつひめのかみ 水戸神二神
20 志那都比古神 しなつひこのかみ 紙長戸辺神(しなとべのかみ)
21 久久能智神 くくのちのかみ
22 大山津見神 おおやづみのかみ 大山祇神
23 鹿屋野比売神 かやぬひめのかみ 野椎神(ぬづちのかみ)
25 鳥之石楠船神 とりのいわくすふねのかみ
26 大宣都比売神 おおげつひめのかみ
27 火之夜芸速男神 ひのやぎはやをのかみ 火之迦(ほのか)
具土神(ぐづちのかみ)
阿遇突智神(かぐづちのかみ)
28 金山毘古神 かなやまひこのかみ
29 金山毘売神 かなやまひめのかみ
30 波邇夜須毘古神 はにやすひこのかみ
31 波邇夜須毘売神 はにやすひめのかみ
32 弥都波能売神 みづはのめのかみ
33 和久産波巣日神 わくむすびのかみ
34 豊宇気毘売神 とようけひめのかみ 33豊宇気毘売神の子





出雲神話に出てくる神

生まれた順位 神名 よみかた
82 白兎神 はくと
84 蚶貝比売 きさきがいひめ
84 蛤貝比売 うむぎひめ
100A 多邇具久 たにぐく
100B 久延毘古神 くえびこのかみ




 神武東征

 神武天皇は、日向国から東方の青山が四周(よも)に巡る美(よ)き地(くに・倭国(やまとのくに))を目指して船出し、熊野から八咫烏(やたがらす)の先導により莵田下縣(うだのしもつこおり)(宇陀市莵田野)に至る。そこで天香山の社(やしろ)の埴(はにつち)を用いて天平瓮(あめのひらか)や厳瓮(いつへ)などの神聖な器を作り、「丹生川上に陟(のぼ)って天神地祇(ちぎ)を祭った」
 また、 厳瓮を丹生川に沈めて占ったところ、吉兆を得て、中洲之国(うちつくに・倭国)を平定し、橿原の地に宮殿を構えた。 
 神代三代⇒⇒⇒
 八咫烏⇒⇒⇒
 神武東征⇒⇒⇒
  

大久米命    前田青邨 明治40年(1907)

 居並ぶ兵士たちの中、大刀を手に舞う勇壮な姿が描かれている。大久米命は、古代に軍事で朝廷に仕えた久米氏らの祖とされる。
神倭伊波礼毘古命(のちの神武天皇)
の東征に従い宇陀では命を陥れようとした兄宇迦斯を、道臣命とと呼び出し、滅ぼした。
この戦いの後の
宴で歌われた歌は、『日本書紀』では「来目歌」と呼ばれる。その後も一行は久米の者たちの強さを歌いながら士 気を高めた。
また、大久米命は神武天皇と
比売多々良伊須気余理比売の結婚をとりもった人物であり、目のまわりに入れ墨をしていたと『古事記に記されている。

前田青邨(1885-1977)は古画の研究や自然観察により歴史画をはじめ肖像画,静物画などに大きな業績を遺した。




 古事記

  現存最古の歴史書古事記は和銅5年(712)に完成した。
古事記は、わが国の神秘的な建国の物語と、7世紀前半の推古天皇(554~628)までの歴史
天皇の治世を記した書物。天武天皇(631?~686)時代に編纂が始まり、元明天皇の時代に
完成した。太安万侶が、稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗誦する神話や歴史を筆録した。
 古事記編纂の経緯は、太安万侶が書いた序文に詳しく記されている。飛鳥時代天武天皇が、
緒家が持つている帝紀(ていき・天皇の系譜を中心とした記録)や旧辞(きゅうじ・説話や伝承の類)
に誤りが多いことから、それらを添削して一つにまとめるようと計画した。
 舎人として仕えていた稗田阿礼に命じて、帝紀と旧辞を誦(よ)み習わせた。天皇が亡くなってか
ら四半世紀を経た、和銅4年(711)9月18日、元明天皇は、安万侶に、稗田阿礼が誦み習った
旧辞を撰録し献上するように命じた。
 命を受けた安万侶が翌和銅5年(712)の正月に古事記を完成させた。
 安万侶は、古事記完成後も官僚として活躍し、養老7年(723)7月に民部卿従四位下で没した。
 1979年1月、奈良市東郊の茶畑から一基の火葬墓が見つかり、埋納されていた銅板の墓誌から、
安万侶の墓であることが分かった。

古事記の話

 元明天皇の勅命によって、大安萬侶(おおのやすまろ)は、稗田阿禮(ひえだのあれ)が
そらんずる我が國の古傅を、文字に書きあら
はすことになった。

 阿禮は記憶力の非凡な人であった。彼が天武天皇の仰のままに、我が國の正しい古記録
を讀み、
古い言傳ヘをそらんじ始めたのは、三十餘年前のことである。當時二十八歳の若盛
りであった彼
が、今ではもう六十近い老人になった。此の人がなくなったら、我が國の正しい
古傅、つまり神代
以來の尊い歴史も文學も、彼の死と共にほろびてしまふかも知れないので
あった。

 勅命の下ったことを承った阿禮は、今や天にも上る心地であったらう。さうして,長い長い物語

を讀上げるのに、殆ど心魂を捧げつくしたことであらう。ところで、これを文字に書きあらはす安

萬侶の苦心は、それにも増して大きいものがあった。

 其の頃は、まだ片假名も平假名もなかった。文字といへば漢字ばかりで、文章といへば漢文
が普
通であった。しかるに、阿禮の語る物語は、すべて我が國の古い菩葉である。我が國の
古語を、漢
字ばかりで其のまた書きあらはすことが、安萬侶に取っての大きな苦心であった。

 試みに、今日若し片假名も平假名もないとして、漢字ばかりで、我々の日常使ふ言葉を書き
らはさうとしたら、どうなるであらう。「クサキハアヲイ」といふのを漢字だけで書けば、差當り

「草木青」と書いて満足せねばなるまい。しかし、これでは、漢文流に「サウモクアヲシ」と讀
ことも出來る。そこで、ほんたうに間違なく讀
ませるためには、「久佐幾波阿遠以(クサキハア
オイ)」とでも書か
ねばならなくなる。だが、これでは又あまりに長過ぎて、讀むのにかへつて
不便である。

 安萬侶は、いろくの方法を用ひた。例へば、「アメツチ」といふのを「天地」と書き、「クラゲ」
といふのを「久羅下(クラゲ)」と書いた。前者は「ク
サキ」を「草木」と書くのと同様であり、後者
「久佐幾」と書くのと同じである。「ハヤスサノヲノミコト」といふのを「速須佐之男命」とした

のは、「草木」と「久佐幾」と二つの方法を一しよにしたのである。これらは簡單な名前に過ぎな
いが、長い文章になると、其の苦心はとても一通りのことではなかった。

 しかし、安萬侶のかうした苦心はやがて報いられて、阿禮の語る所を、君葉其のまた文字に
きあらはすことが出來た。さうして、三卷の書物にまとめて天皇に奉った。これが古事記と
いっ
て、いはば我が國で最も古い書物である。和銅五年正月二十八日、今から一千二百餘年
の昔のことである。

 天の岩屋,八岐のをろち、大國主命、天孫降、二つの玉等の神代の尊い物語を始め、神武
皇や日本武尊の御事蹟.其の他古代のすべての事が古事記にのせられて、今日に傳はつて
ゐる。

 それは、要するに我が國初以來の尊い歷史であり、文學である。殊に大切なことは、かうして
が國の古傳が、古語のまま殘つたととである。

古語には、我が古代國民の精神がとけ込んでゐる。我々は今日古事記を讀んで、國初以來の
歷史
を知ると共に、其の一言葉を通して、古代日本人の精神をありありと讀むことが出來るの
である。


松阪の一夜

 本居宣長は、伊勢の國松阪の人である。若い頃から讀書が好きで、將來學間を以て身を立てたい

と、一心に勉強してゐた。

 或夏の半ば、 宣長がかねて買ひつけの古本屋に行くと、主人は愛想よく迎へて、
「どうも残念なことでした。あなたがよく會ひたいとお話しになる江戶の賀茂眞淵先生が、先
お見えになりました。」

といふ。思ひがけもない言葉に宣長は驚いて、

「先生がどうしてこちらへ。」

「何でも、山城・大和方面の御旅行がすんで、これから參宮をなさるのださうです。あの新上

屋にお泊りになって、さっきお出かけの途中『何か珍しい本はないか。』と、お立寄り下さい

ました。」

「それは惜しいことをした。どうかしてお目にかかりたいものだが。」

「後を追ってお出でになったら、大てい追附けませう。」

 宣長は、大急ぎで眞淵の様子を聞取って後を追ったが、松阪の町のはづれき行っても、それら

しい人は見えない。次の宿の先まで行ってみたが、やはり追附けなかった。宣長は力を落して、

すごくともどって來た。さらして新上屋の主人に,萬一お歸りに又泊られることがあったら,すぐ知ら
せてもらひたいと賴んでおいた。

 望がかなって、宣長が眞淵を新上屋の一室に訪ふととが出來たのは、それから數日の後であっ

た。二人は、ほの暗い行燈のもとで對坐した。眞淵はもう七十歳に近く, いろいろりっぱな著書も

あって、天下に聞えた老大家。宣長はまだ三十歲餘り、温和な人となりのうちに、どことなく才氣

のひらめいてゐる少壯の學者。年こそ違ヘ、二人は同じ學間の道をたどってゐるのである。
だんだ
ん話をしてゐる中に、眞淵は宜長の學識の尋常でないことを知って、非常に頼もしく思っ
た。話が
古事記のことに及ぶと、宣長は、

「私は、かねがね古事記を研究したいと思ってをります。それについて、何か御注意下さるこ
はございよすまいか。」

「それはよいところにお氣附きでした。私も、實は早くから古事記を研究したい考はあったのです

が、それには萬葉集を調べておくことが大切だと思って、其の方の研究に取りかかったのです。
ところが、何時の間
にか年を取ってしまって、古事記に手をのばすことが出來なくなりました。
あなたはまだお若いから、し
つかり努力なさったら、きっと此の研究を大成することが出來ませう。
ただ注意しなければな
らないのは、順序正しく進むといふことです。

これは、、學問の研究には特に必要ですから、先づ土臺を作って、それから一歩々々高く登り

最後の目的に達するやうになさい。」

 夏の夜はふけやすい。家々の戶は、もう皆とざされてゐる。老學者の言に深く感動した宣長は、

未來の希望に胸ををどらせながら、ひっそりした町筋を我が家へ向かった。

 其の後、,宣長は絶えず文通して眞淵の教を受け、師弟の關係は日一日と親密の度を加へたが、

面會の機會は松阪の一夜以後とうとう來なかった。|

 宣長は眞淵の志を受けつぎ、三十五年の間努力に努力を續けて、遂に古事記の研究を大成した。

有名な古事記傳といふ大著述は此の研究の結果で,我が國文學の上に不滅の光を放ってゐる。
建御名方が築いた新王国⇒⇒⇒
髭(ひげ⇒⇒⇒

伊弉諾命の禊の生命力⇒⇒⇒
えべっさん になった神々⇒⇒⇒
三輪山磐座⇒⇒⇒







稗田阿礼

 古事記の序文によると、天武天皇に仕えた舎人で記憶力に優れ、28歳の時、天皇家の系譜「帝紀」と神話・伝説を記した「旧辞」を暗唱した。
それから約30年後、「元明天皇の命で、阿礼の口述を太安万侶が書き取って編集し、712年に古事記が完成した。生没不詳で、男性、女性両方
の説がある。