伊弉諾神宮(いざなぎ)地図

祭神 伊邪那岐神 伊邪那美神
入母屋造りの拝殿
 通称「いっく(一宮)さん、或いはいざなぎ(伊邪那)さんと呼ばれ親しまれている。国生み神話で知られている最古
の神社と云われる。
 県指定天然記念物「夫婦大楠がある境内地は広大で4万3千平方メートルもある。
 国生み神話では伊邪那岐神、伊邪那美神が夫婦になり、淡路島から日本列島を生んでいったとされる。
伊勢本系の古事記では伊邪那岐神は淡路島(兵庫県淡路市多賀)に鎮座したことになっている。
しかし真福寺本には、伊邪那岐神は淡海の多賀に鎮座されたという記事がある。
 すべての仕事をやりとげた伊邪那は、子の天照大神に国家の統治を委譲し、国生みで最初に誕生した淡路島
の多賀の地に幽宮(かくれのみや)を構えて余生を過ごした。
 その幽宮跡に、のち御陵を構えた。それが伊邪那神宮の起源であるという。
 幽宮:神霊が人前に示現(じげん)することなく永久に鎮(しず)まる宮のこと。
 和銅 5 ( 7 1 2 )年に編纂された『古事記』の冒頭に記される国土創世部の「国生み神話」で、
イザナギノミコトイザナミノ三コトのニ柱が最初にお生みになった淡路島は、その時代にわが
国で最も重要な場所だと位置付けられていたようだ。
 平成 28 ( 2016 )年、「国生み神話」で重要雲れた淡路島の歴史的背景を解き明かすストー
リー「『古事記』の冒頭を節る『国生みの島?淡路』〜古代国家を支えた海人の営み?」?が文化庁
の日本遺産に認定された。淡路市教育委員会の伊藤宏幸さんは、「歴史を解き明かすカギは、
淡路島の地勢的な背景と航海術に優れた海人の存在だ」と話す。
 瀬戸内海東端の淡路島は畿内の入り口に位置し、地勢的に王権の地への要衝として重要視
されていたはずだ。海人は、弥生時 8降に淡路島を拠点に周囲の明石海峡、鳴門海峡、紀淡
海峡を掌握していた海の民。巧みな航海術で、大陸や朝鮮半島から技術や物などを運び、金属
器文化や製塩技術を持ち込んだ。海人は王権を支えていたであろう。先月、産経新聞社主催の
ツアーで日本遺産のストーリーをたどる旅に同行した。そのなか、非常に興味深かったのは、
淡路島中央部の淡路市多賀に鎮座する伊弉諾神宮で神職が解説してくれた「陽の道しるべ」だ。
 伊弉諾神宮とその東西南北に鎮座する格式高い神社の配置を調べると、「伊弉諾神宮を中心
とした太陽の運行ルート」がわかったという。伊弉諾神宮と真東の伊勢神宮内宮 (三重県伊勢市 )、
真西の海神神社 (地図・長崎県対馬市 )は同緯度上に一直線に並ぶ。夏至の日は諏訪大社 (長野県諏訪市など )
の方角から出雲大社 (島根県出雲市 )へ、冬至の日は熊野那智大社 (和歌山県那智勝浦町 )の
方角から高千穂神社 (宮崎県高千穂町 )へ、案諾神宮を通過して太陽が動くのだ。 
 神社の配置が意図的に計算されていたとすれば、伊弉諾神宮が『古事記』に日本最古の神社と
して起源が記述され、淡路島が「はじまりの島」と位置付けられているのもうなずける。また、土地の
位置関係を正確に 把握できたのは、航海術に優れ、天文にも精通していたと考えられる海人が関
係しているとも想像できる。
 ほかにも、鳴門海峡のうずしおクル?ズ乗船や「国生み神話」ゆかりの戎舞を起源とする
「淡路人形浄瑠璃」 (国指定重要無形民俗文化財 )鑑賞など、神話や海人に関連するスボット文化
財を肌で感じて学んだ。神話は島内各地に根付き、その神話と歴史は絡み合う。解き明かすほど
に淡路島の重要性がストンと理解できた。淡路島聽協会では、本格的な拡張現実 ( A R )の技術
を用いて歴史的文化財をより再現、体感できるよう計画中だ。
  2023−10−23  産経新聞  小林希
多賀大社  一の宮  えべっさん になった神々 
伊射奈岐神社 和田萃