出雲大社(いずもたいしゃ)地図
拝殿 祭神 大国主大神 |
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国譲りをし、現世の政事(日本の支配)は天照大神とその子孫が治め、 幽れたる事(神事幽界の支配)は、大国主命とその子孫が司ることになった。 幽れたる事とは、目に見えないことであり、それを治めるため、全国から神様を お迎えして会議をされることと考えられている。(神迎祭・神在祭・神等去出祭の神事) 縁結びとは、男女の縁だけでなく、すべての人や物事、事象の結びつきのことと いわれている。 出雲大社は大社(おおやしろ)と呼ばれ、八百万の神々が集まる。
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本殿は西向きにまつられる。 日本海をはさんだ古代出雲と朝鮮半島との交流との関係。 浜辺(稲佐の浜)が大国主の国譲りの舞台となった。 神迎と結びつけられた。 |
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巨大なしめ縄の拝殿の奥に巨大な本殿を望む。大社造りの切妻建物で向かって 右側に入口がある妻入型式。平面正方形の間取りは「田」の字をしている。 神様の御伸座は本殿の向かって右奥にあり、鎮座する大国主は左、西を向いて 祀られている。 |
注連縄(しめなわ) | 八足門(やつあしもん) |
八足門から本殿を拝む。正月5日間は開放され、本殿前の 楼門まで入れる。 出雲大社では、「二礼・四拍手・一礼」で一般のお参りより拍手 が二つ多い。 |
東側瑞垣越にみた、 本殿(国宝)・御向社(みむかい)・天前社(あまさき)・瑞垣(東) |
東回廊・観察楼 | 八足門・楼門・本殿・東回廊・観察楼 |
現在の本殿は安永2年(1744)造営された。 大屋根は64万が一枚の桧皮で葺かれている。軒先の厚さは60cmある。 屋根には高さ24mのX字形の千木(ちぎ)や棟を飾る3本の勝男木(かつおぎ)がある。 勝男木これらに「にちゃん塗り」と呼ばれる伝統工芸法で黒く塗られる。 ちゃん塗りは千木などに巻いた銅板にエゴマ油や松ヤニ、鉛などを混ぜたものを塗る。 被膜となり、緑青が出来るまで保護できる。 |
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主な祭りと行事 1月3日: 福迎祭、吉兆さんと番内 旧暦元旦: 福神祭 5月14日〜16日: 大祭礼 6月1日: 凉殿祭 旧暦10月10日: 神迎祭 旧暦10月11日〜17日: 神在祭 11月23日: 献穀祭、古伝新嘗祭 |
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摂社天前社 祭神:蚶貝比売命(きさがいひめ)、蛤貝比売命(うむぎひめ) 摂社御向社 祭神:須勢理毘売命(すせりひめ) 摂社筑紫社 祭神:多紀理毘売命(たぎりひめ) 摂社門神社(東) 祭神:宇治神 摂社門神社(西) 祭神:久多美神 これらの摂社は瑞垣内にある。 |
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境内は荒垣、瑞垣、玉垣という三重の塀垣に囲まれる。 中心軸には、南から銅鳥居、拝殿、八足門、楼門、本殿が南北に並んでいる。 銅鳥居はわずかに東に偏っている。楼門にとりつ玉瑞垣より内側が最も神聖な領域で、中央奥に本殿が鎮座している。 瑞垣は東西と北の三方だけで、南面には八足門を中央に回廊がとりつく。その東側のみ二重楼閣の観察楼を配し非対称配置となる。 玉垣と瑞垣とのあいだには、摂社門神社(東)、摂社御向社、摂社天前社、摂社筑紫社、摂社門神社(西)配置されている。 荒垣の南面は銅鳥居から東西に広がり境内を囲む位置になっている。 本殿内の御神座は、西向きに配置されている。正面(南)からお参りした後、西正面からもお参りすのが丁寧。 |
末社 祓社(はらいのやしろ) | 末社 釜社(かま) | 摂社 素鵞社(そが)重文 |
祭神 祓戸の神四柱 瀬織津比売神(せおりつ) 速秋津比売神(はやあきつ) 気吹戸主神(いぶきどぬし) 速佐須良比売神(はやさすらひ) 祭日 六月30日 12月31日 |
祭神 宇迦之御魂神 祭日 3月28日 11月23日 |
祭神 須佐之男尊 祭日 1月28日 10月6日 縁の下に砂をお供えする 箱があって、参拝者は砂を もって訪れる。 |
祓社 出雲大社に参拝する人は、まずここで心身を祓い清める。 |
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宇迦之御魂神 須佐之男尊の御子。食して生くべき食物を司る神。全国的にある稲荷社の祭神はこの神。 11月23日夜の古伝新嘗祭の終段では、御釜を遷しての御釜の神事が執行される。 |
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摂社 素鵞社(重文) 本殿の真北にあたる八雲山の麓に位置する。社殿は心御柱のない大社造。 須佐之男尊 出雲の地にあって、山や野の荒れるのをふせぐなど努めた。 |
摂社 氏社(北)うじのやしろ 祭神 天穂日命 祭日 3月28日 4月1日 11月17日 |
摂社 氏社(南) 祭神 宮向宿禰命 祭日 3月28日 11月17日 |
天穂日命 天照大神の第二の御子神で、出雲国造の家(宮司家)の先祖である。 宮向宿禰命 出雲国造家(宮司家)の祖神天穂日命の第17代の裔で、 このときはじめて允恭天皇から出雲臣(いずものおみ)の姓をさずかり、 国造(くにのみやつこ)となり、大国主大神を祭祀して、 つかえるだけでなく、出雲の国の政治をもつかさどることになった。 |
末社 東十九社 | 末社西十九社 |
神在月の御旅社、八百万神遥拝所。 | |
祭日 3月28日 旧暦10月11日〜17日 大国主命が「むすびの神」である事から旧暦10月には全国の神々が 出雲大社に集まり、人々幸福発展のために神議なさる神事が行なわれる。 その時の神々のお宿で平素は遥拝するところである。 現在でも出雲では旧暦10月を神在月(かみありづき)というが、 他地方では神無月という。 前後には出雲へ神を送る「神送り」出雲からの帰りを迎える「神迎え」の 行事が行なわれる。 |
文庫 | 彰古館 |
神牛・神馬 |
大国主命像 |
大鳥居 | 勢溜(せいだまり)の鳥居(正門) | 松並木の参道 | 銅鳥居・拝殿 |
勢溜の鳥居: 鳥居をくぐると神聖な領域となる、境内に入る。 松並木の参道: 祓い橋を渡ると、樹齢数百年の松並木が続く。ここを通り銅鳥居をくぐると拝殿。 銅鳥居: 正式の参拝は、必ず銅鳥居を通り、出る時もここから出る。正面には拝殿がある。 |
雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)。 この言葉は、10世紀の貴族・源為憲が公家の子弟たちに教科書として与えた 「口遊(くちずさみ)」にあるもので、 出雲太郎=出雲大社、大和二郎=東大寺大仏殿、京三郎=平安神宮大極殿を意味している。 当時、この三つが日本最大の建物であり、出雲大社の本殿が一番巨大であるという。 この言い伝えが立証出来るかもしれない遺跡が2000年4月に 出雲大社の境内から発見された。 |
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直径1m余りの杉の巨木が3本束になった鎌倉時代の宇豆柱(うずばしら・棟持ち柱)は、 推定の高さが今の本殿の2倍にあたる48mで、東大寺大仏殿(約46m)を上回り、 空中神殿ともいわれる。 巨木は、樹齢120〜200年の杉の大木を3本束ねて1本としたもので、 本殿の棟木を南側中央で支えた宇豆柱とわかっている。 出雲大社に伝わる「金輪造営図(かなわのぞうえい)」に描かれた構図と一致する。 金輪造営図には、南北12mの「田」の字の交点に計9本の柱が並ぶと記されている。 この様式は大社造の神社本殿の特有の建築で、出雲地方に集中的に分布する。 現在の出雲大社本殿の高さ8丈(24m)は8階建てビルに相当する。 平安時代には倍の48m、もっと前は96mあったとも伝えられる。 |
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大国主命が国譲りをする際、建武雷之男神に対して、隠れ住み住居を、天つ神の御子の 宮殿のように造ってくれるように頼んでいる。 |
出雲大社(本殿) | 伊勢神宮(内宮正殿) | ||
主祭神 | 大国主命(本殿) | 天照大神(内宮) | |
大和地方を中心とする地理的関係 | 北西(太陽が沈む彼方) | 南東(太陽が昇る方向) | |
建築構造 | 大社造 | 明神造 | |
神座 | 真横を向く | 正面を向く |
社殿は大社造りと呼ばれ、日本最古の神社建築の様式といわれる。 |
伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度に対して出雲大社の修造遷宮は60年に一度が原則。 5年前から60年に一度の修繕する修造遷宮のために、本殿の檜皮屋根を中心に大がかりな改修が進む。 (2013年現在) 本殿は延享元年(1744)に建てられ、国宝に指定されている。 伊勢神宮の常にいきいきとしたみずみずしさを尊ぶ常若(とこわか)の思想に対して、出雲大社の遷宮は 蘇(よみがえ)りの思想である。 蘇った本殿に祭神の大国主大神をうつす本殿遷座祭は5月10日。その後も境内の内外の建物の改修は 続く。28すべての改造を終えるのは3年後である。 遷宮⇒ |
出雲大社 では旧暦 10月を神在月(かみありづき)といい、10日 (2024は11月10日 ) の夜になると、「稲佐の浜」から八百万の神々をお迎えして、神迎祭(かみむかえさい) の神事が行われます。 さらに翌日から 7日間 (今年は 11月 17日まで )、出雲大社に八百万の神々が滞在し て、縁結びや収穫など諸事について話し合いが行われるといわれています。 |
日御碕神社地図
島根県出雲市の日御碕にある日御碕神社は、通称「みさきさん」と言い、「出雲大社 現在の建物は徳川家光の命により造営されたもので、下の宮(日沈の宮ひしずみ・ 「日沈の宮」という名前の由来だが、伊勢神宮の創建の由緒が、「日の本の昼を守る」 |