第13番 檜尾山 観心寺地図

     
 楠正成の建掛塔(重文・三重塔初層)
室町時代
 山門  建掛塔と金堂
 方三間四面、木造藁葺、土壇上にたち、四囲に縁を
めぐらし、柱は円
柱を用いている。建武年中、
建武中興の無事を祈って楠木正成願主とな
り、
三重塔を建立しようとしたが、
湊川戦役のため成らず初重にして止
んだもので
ある。
俗に建掛塔と称し、内部に大日如来を安置する。
 堂々たる門構え、幅広いゆるやかな勾配の石段が続く。
 高野街道をはさんで東に観心寺、西に金剛寺の二代名刹がいずれもうっそうとした
古木に囲まれている。
 両寺院が歴史的にもっとも脚光を浴びたのは南北朝争乱期で、南朝方との関係が深く、
遺品・史跡の宝庫である。
 草創
 観心寺は飛鳥時代の後期、文武天皇の大宝元年(701)に役小角が修業の一道場として草創し、当初は雲心寺と称していた。

 役小角は修験道の開祖で、役行者、役優婆塞とも呼ばれ、呪術に通じて仏教に帰依し、葛城山(現在の金剛山)を中心として
活躍して多数の寺院を開いている。

 当寺に奈良時代前期(白鳳期)の金銅仏が四体(釈迦像1、観音像3)が伝わっているが、それらは修行者の念持仏であり、当寺草創期の仏像である。
開基
 寺伝によると、大同3年(808)、弘法大師が当地を巡錫の際、天の北斗七星を勧請された。そして弘仁6年(815)再び来山されて、
国家安康と衆生厄除祈願のために如意輪観音(国宝)を刻まれて本尊とし、唐より請来された秘密具を納めて、寺号を「観心寺」と改
められたといわれている。
 当寺では如意輪観音を中心として周囲に北斗七星を配置し、鎮守に訶梨帝母天(鬼子母神)を祀って、境内に七星如意輪曼荼羅を
構成しているが、星塚があるのは、日本で当寺のみである。
 嵯峨天皇は弘法大師を厚く信任され、ことに当寺を祟信、勅願所と定められた。ついで、弘仁7年(816)、大師は高野山開創のため
当寺を筆頭弟子の実恵(じちえ・道興大師)に付属、実恵は国家と衆生のために伽藍建立を発願し、工事を真紹(しんじょう)に任された。
真紹はこのこの重任を担って天長4年(827)より基礎工事に着手、伽藍造営に専任された。このようにして真言宗としての当寺の基礎
を確立されたのが実恵であるところから、彼を実質的な開基としている。
 観心寺発展の一因は当寺の地理上の位置に関係がある。大師は修行の根本道場高野山と、布教の拠点京都の東寺(教王護国寺)と
の道中にあったこの地を往還の中宿と定められ、真言宗発展のため重要な拠点とされた。高野山―観心寺―川原寺(弘福寺)東大寺
東寺が当時の主なルートになる。当寺より高野山への道は峻険なため、歴代天皇は当寺で国家の安全の祈願を込められていた。 
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  歴史上もっとも脚光をあびたのは、やはり南北朝時代に入って楠木氏との関係が生じてからである。
その楠木氏との関係をあらわすものが、参道の石段をあがってすぐ左手の故地に、再建された中院である。
この、中院は、実恵の弟子真紹の創建した最初の塔頭で、その後、楠木正成の三代前の正俊のころに再興されて楠木家の菩提所となった。
さらに正成の父正遠が正成のために学問所とし、正成が8歳から15歳まで滝覚坊(ろうかくぼう)ついて学問を励んだところである。
延玄6年(1336)5月25日、兵庫の湊川の合戦で無念の最後を遂げた正成の首級が足利尊氏から送り届けられ、
正成夫人の阿久の方と嫡子正行とが無言の対面をしたのも、この中院である。

この時、正行が自害しょうとして、母に諌められたといわれ、その姿を模した銅像が楠妣庵の山門前にある。
後村上天皇は、正平14年(1359)、楠木正儀、和田正武らの側近を従えて、天野山金剛寺から観心寺塔頭惣寺院に移り行宮とし、
正平23年(1368)3月11日に住吉で崩じた。

後村上天皇が、わずかな期間である行宮を置いた南朝の里・南河内の、しかも楠木家の菩提寺である観心寺の一角に陵墓を築いたのは、
いかに往時、観心寺の南朝方にあたえた力が大きいかを示しているようである。
 観心寺は葛城山脈の一峰である金剛山の山ふもとみある。
 金剛山に千早峠という峠があり、そこからすこしくだると楠木正成の攻防戦の拠点として有名な千早村があり、嶮岨な山の中にするどく
切れ込んだ渓があり、山水をあつめて細川がときに滝のような勢いで流れている。その細川が麓に達しようとするあたりに観心寺がある。
 正成という人は鎌倉幕府の御家人名簿に載っていないから正規の武家ではなかったであろう。諸説があって、天皇領、院領などを管理
する武士だったともいわれ、あるいは葛城の山伏の親方だったとか、もしくは散所の長者だったとか、さまざま想像されている人物である。
しかし鎌倉末期の正成武士たちの水準からいえばまるで別種の人といっていいほど教養があったのは、むしろ奇異の思いさえする。
その正成の教養の基礎は少年のころ観心寺に通うことによって培(つちかわ)れたというのが通説である。
  司馬遼太郎  街道をゆく 蝉の宿  より 
     
 金堂(国宝)  鎮守堂(訶梨帝母天堂かりていぼてん・重文) 鐘堂
  七間四方、単層入母屋造り、和洋、禅宗様、
大仏様の折衷様式の代表的遺構である
室町時代初期に建立された。
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  一間社春日造り、桧皮葺、弘法大師の勧請された当山の鎮守である。興国5年(1344)、
堂炎上の際
後村上天皇の命によって楠木正行が修理した。また、慶長19年(1614)、
豊臣秀頼の命により、
片桐旦元修理の棟札が残存。現在の堂は桃山時代の建物である。
 参道の正面に国宝の大きな金堂(本堂)が見える。
金堂は、大阪府下最古の建物で、建武年間(1334〜5)に第96代 後醍醐天皇の命により楠木正成が奉行となって外陣を再建した。
 堂は桁行七間、梁間七間で正面に三間の向拝があり、内部は内外陣にわかれ、その境に菱格子の欄間と引き違い格子戸を入れており、
内陣の仏壇前の両脇には両界曼荼羅を描いた板壁を立ててある。
このように内外陣の区画が厳重なのは密教本堂の特徴である。

和様に唐様・天竺様を加味した様式で、建築学上は観心寺様式と称して、その典型的なものである。
この金堂に安置されている本尊の如意輪観音菩薩坐像が、また有名である。
仏身の高さ三尺五寸九分、台座三尺二寸五分、光背は四尺六寸、総高六尺八寸四分、榧の一木造りで、
平安初期の密教美術の最高傑作といわれている。

この如意輪観音菩薩坐像は秘仏で、毎年4月の17・18両日のみしかご開帳されていない。  

   
 第97代 後村上天皇檜尾陵  開山堂(本願堂)
  後醍醐天皇の皇子、住吉大社で没後、
当山に御陵が作られる。
後村上天皇のはかない夢の日々を感じさせる。
 
 
 楠正成公首塚
  正成湊川で討死後、足利尊氏の命令に
よってその首が当寺に送り届けられ、
ここに祀られる。

 後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334

年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出さ

れ、現在の金堂ができた。正成自身も報恩のため三重

塔建立を誓願される。延元元年(1336年)、神戸の湊川で

討死後、正成の首級が当寺に送り届けられ、首塚とし

て祀られている。

 その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受

け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊にな

ているが、境内は史跡として、自然に恵まれた環境の

中で山岳寺院の景観を保持している。


主な年中行事 1月1日〜5日初詣
1月7日修正会
2月節分の日節分星祭
3月春分の日春彼岸法要
4月6日後村上天皇御正宸
4月17・18日秘仏本尊御開帳
5月20日〜26日の間の日曜日楠公祭
8月23日地蔵盆
8月25日牛滝祭(大威徳明王)
9月秋分の日秋彼岸法要
回忌本尊十八仏 大日如来(胎蔵界) 十七回忌
開山 役小角
開創年 大宝年中
御詠歌 千代までも 厄災消除の 御誓い
 大師のみ手の あとぞ導き
電話 0721-62-2134
住所 〒586-0053
大阪府河内長野市寺元475
主な宝物
(文化財)
金堂(国宝)
本尊如意輪観世音菩薩(国宝)
愛染明王坐像(重文)
不動明王坐像(重文)
四天王立像(重文・多聞天持国天増長天広目天
試作 如意輪観音菩薩像(重文)木造・平安時代

   本尊の試作と伝えられるが、秘仏本尊の前立ちとして彫刻された像。如意宝珠

  を持つためにこの名があり、祈願するものの煩悩を輪宝で打ち破り、如意宝珠に

  よって福徳を与える尊である。六本の手があるのは六道で苦しむ衆生を救うため。

  秘仏本尊は弘法大師が国家の安康と衆生の厄除のために彫刻された。
地蔵菩薩(重文)  

   地蔵菩薩(重要文化財)木造・平安時代密教彫刻の特徴である非常に量感のあ

  る像。地蔵菩薩は特に子供を救う仏として、また閻魔王の本地仏(ほんじ)としてよく信仰

  され、鎌倉時代以降は錫杖と宝珠を持つ形になる。
十一面観音菩薩立像(重文)
塔内四仏(重文・釈迦如来坐像、薬師如来坐像、宝生如来坐像、弥勒如来坐像)

   塔内四仏と総称され、もともと建掛塔に安置されていた像。弥勒は未来仏、宝

  生は金剛界五仏の一、釈迦は仏教の開祖薬師は病気平癒の祈願仏。尚、弥勒を仏

  眼仏母、宝生を弥勒という説があり、本尊ともに当寺の開基直後の像である。
聖観音菩薩立像(重文)
聖僧坐像(重文・平安時代赤栴壇一木造の坐像で弘法大師請来と伝えられる。このような像を一般に聖像文殊という)
厨子入愛染明王坐像
観心寺勘録縁起資財帳(国宝)
建掛塔(重文)
鎮守堂(重文)

楠公学問所中院

貪狼星(とんろうしょう)















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