越智氏

 大和中世史は越智党と筒井党の抗争史といわれるほどの越智氏は名豪族である。
 鎌倉時代の終わりに近い正和5年(1316)越智邦永が北条高時に抗して、謀叛の旗を粉盛山の城館に翻した。
 その後、、南北朝時代に入り、邦永の子邦澄は、後醍醐天皇の南朝方に加担し、元弘3年(1333)護良親王の令旨を受け高取城を築城。また、貝吹山、玉手、佐田の山々にも支城をつくった。
 以来天正11年(1583)8月に越智玄藩頭家秀を最後に滅亡するまでの約200年間、奈良盆地の南端に君臨し、中世文化を育てた。
  越智氏によって築造せられた高取城は、寛永17年(1640)植村家政が2万5千石をもって入部して以来、代々相ついで明治維新に至った。
貝吹山の図 地図
厄除け杉 鐘門 黄檗宗 越智山 光雲寺 本堂 地図 庭園
 樹齢千年に近い神木の杉。
 岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事につかわれている。



 南朝の忠臣越智氏の菩提寺。
 万福寺の末寺。
 南北朝時代初期の貞和2年(1346)に越智邦永(出家して越智伊与入道宗林と称した)が、自家の菩提所として禅宗の一寺院を建立して、室町初期の文安3年(1446)大徳寺の義天玄紹が来て復興開基した。以後越智氏の菩提寺として栄えたが、天正11年(1583)越智氏没落後は浄土宗の寺院として余命を保っていた。天和年中黄檗宗祖隠元禅師の法孫にあたる京都西山淨往寺の鉄牛和尚の再興するところとなり、黄檗宗となって興雲寺の「興」の字を「光」に改めた。

有南神社 地図
越智氏氏神