霊園山・聖林寺(りょうおんざん・しょうりんじ)地図

 天平の傑作、国宝十一面観音を安置。

藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)の創建で藤原氏の

氏寺として栄えた寺。天平時代の傑作の国宝・十一面

観世音菩薩立像や、貴重な石像仏である本尊・丈六子

安延命地蔵菩薩を安置。山門からは三輪山が一望できる。

本尊は子安延命地蔵菩薩。
 大和最大の色彩丈六石仏、白い顔に朱の唇が鮮やか。子授けと安産のご利益を求める参詣者が多い。
 藤原鎌足の子定慧(じょうえ)の開基と伝えられ、奈良時代に妙楽寺(現在の談山神社)の別院として、鎌足の菩提を弔った。
 客仏の十一面観音立像(国宝)(日本の三大十一面観音の一つ)は天平時代の作で国宝に指定されている。
この像は、もと大神神社(おおみわ)の神宮寺である大御輪寺(だいごりんじ・若宮社)の本尊であった。
明治の廃仏毀釈のとき、寺はこの像を道ばたに捨てた。それを聖林寺の住職が拾いあげたものである。
この仏像の価値を発見したのは、外国人のフェノロサである。
 かっては荘厳の中に祀られ、大切にされており、聖林寺にきてからも白い幕を張って祀っていた。
20年後にフェノロサと岡倉天心によって、封印が解かれた。
十一面観音 和辻哲郎 古寺巡礼⇒⇒⇒
観音寺⇒⇒⇒
 上記に、排仏毀釈のとき像が捨てられ、路傍に遺棄されていたとあるが、十一面観音像は、ひたいの上の標幟化仏(ひょうしきけぶつ)
が失われていること、左手の華瓶(けびょう)を」持つ親指が後帆補されているいがい、全体によく保存されているとされる。
幾日も路傍にころがっていた形跡は見当たらない。 
 真相は、三輪山をご神体とする大神神社の神宮寺だった大御輪寺(だいごりんじ・おおみわでら)が観音像を聖林寺に預けた。
聖林寺が大御輪寺の出した預かり状が残っている。
 神仏分離令の後、全国で多くの寺が廃され、仏像が壊された。その廃仏毀釈の嵐の中でも、観音像は大切に守られていた。
棄てられたのではない。観音像の保存状態の良さが何よりの証拠だ。
  2013−1019  朝日新聞より
 排仏論が展開されたのは徳川の初期であった。
朱子学による一派が論を展開した。のちにこれは国体論と結びつき、江戸後期平田篤胤、本居宣長の排仏論となり、
これが明治維新の排仏毀釈に発展する。明治以後、日本から多くの美術品が外国に流出してしまった。
 寺川にかかる聖林寺橋のたもとに法華塔がある。明治初期の廃仏毀釈のとき、多武峰の談山神社から移されてきた。
 聖林寺の山門から盆地の東南部が一望のもとに見渡せる。
正面の山が前後重なっているが、前にある形の良い山が三輪山である。
また、その奥に若草山が位置し、山焼きの時には赤い炎が北の空を明るく
染めて燃え上がるのが確認できる。
 その他箸墓古墳巻向遺跡山の辺の道等が一望できる。