酒船石地図

 この丘の下、北側に亀形石造物があるが、これらと合わせて、酒船石遺跡という。
 その後、調査が続くにつれて、酒船石のある竹藪の丘陵と一体のものであることが裏付けられている。
丘陵そのものは、わざわざ山を削り、その後、版築土(20cm×30cm)で積み上げた人工の丘であった。
丘のコーナーの石も発掘され、四重の石垣で取り囲み、周囲総延長800mある丘となった。
日本書紀斉 明天皇二年条には「宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」とあり記事そのままである。
 3万人の人夫を動員して運河を堀り、舟200隻で石上山(いそのかみやま・奈良県天理市)の石を運んだ。
 続き⇒⇒⇒
 宮跡の道路を隔てた東、丘の上にある。
 

酒船石遺跡

この石垣は平成4年に発見された.調査の結果、この丘

は版築状に3Mほど盛土された人工の丘陵で、石垣は明日

香産の花崗岩を地覆石状に並べて基礎とし,その上に天理

市から奈良市にかけて分布する凝灰岩質細粒砂岩の切石を

積み上げて築かれていた。現在、倒壊していた石垣の一部

を復元して公開している。

酒船石遺跡は、『日本書紀』斉明天皇条の「宮の東の山に石

を累ねて垣とす」「石の山丘を作る」という記事に該当する遺跡

である可能性が強く、その解明は、後飛鳥岡本宮など飛鳥

の諸宮跡の所在地を確定する上からもきわめて重要である。

明日香村教育委員会が平成5年度からこの丘陵周辺で範

囲確認調査を継続的に実施して酒船石を含めた全容の解明

につとめており、石垣が数段にわたって丘陵を取り巻く状

況を確認するなどの成果を上げてきている。

ここは、明日香村大字岡です。

亀形石造物⇒⇒⇒
飛鳥東垣内遺跡⇒⇒⇒
酒船石⇒⇒⇒
天理砂岩と豊田山⇒⇒⇒
石の女帝⇒⇒⇒
 
   
  長さ5m余り、最大巾2m余り、厚さ1mの花崗岩製(かこうがん)で、表面に数個の窪みと溝が彫られている。
酒を作ったとか、油をしぼったとかいわれている。
しかし、この石の東400mのやや高いところで、ここへ水を引くための土管や石樋がみつかっていることから、
庭園の施設だという説もある。
資料館参照⇒⇒⇒ 
 石垣の崩落した痕跡が見つかり、記録に残る最古の南海地震白鳳南海地震」(684)で崩れたとみられる。  
 戦後間もなく「曲水の宴」の説。江戸時代の伝承に、酒を醸成した石造物という説。
酒船石と出水(でみず)出土の石造物と石樋をつらねて、巨大な設備辰砂(しんしゃ=丹)の精製などがあるが、
何時、誰が、何の目的で製作したのか全くわからない。