春日大社の神の山・春日山の手前にある山、御蓋山(みかさやま)。春日山の枝峰、標高284m。 後世若草山の呼び方の一つとして三笠山の称を用いたため、現在では御蓋山との書き分けが行なわれている。 口頭で言った場合、この混乱を避けるために御蓋山(おんふた)と呼んでいる場合もある。 地元では御蓋山をオンカサヤマ、若草山のことをサンカサヤマ(三笠山)という。 |
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大和三山に対し、平城京にも三山があり、春日山(東)、生駒山(西)、奈良山(北)がある。 これらの山は、都を守る山であった。 |
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都を造り、都市を維持するためには、多量の木材が必要なのだが、原始林のまま残した。 遣唐使たちは、あの御蓋山(みかさやま)の月を心に焼き付けて唐土に旅立っていった。 春日山と御蓋山を西から眺めると、鳥が翼を広げて、こちらに向かってやって来るように見える。 これこそ、「羽易(はがい)の山」と万葉びとが称した故郷の景なのであった。 春日なる 羽易の山ゆ 佐保の内(うち)へ 鳴き行(ゆ)くなるは 誰呼子鳥(たれよぶこ) 万葉集 巻10-1828 「春日にある、あの大鳥が翼を広げたように見える羽易の山。その羽易の山から佐保のあたりへと鳴きながら 飛んでゆく鳥がいる。それは誰を呼ぶ声なのか、その名も呼子鳥よ。」 朝日新聞 上野誠 より |
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「天の原ふりさきみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌で知られる。 古今和歌集 巻9-406 阿倍仲麻呂⇒⇒⇒ 百人一首7⇒⇒⇒ 遠く唐の明州の地にあって、故郷・平城京の御蓋山の月の出を思い出して歌った歌。 御蓋山は平城京に住む人々にとって、月の出の山だった。 その他月の出を歌った万葉集の歌として、 春日なる 御蓋の山に 月の舟出づ みやびをの 飲む酒坏に影に見えつつ 巻7-1295 春日なる 御蓋の山に 月も出でぬかも 佐紀山に 咲ける桜の 花の見ゆべく 巻10-1868 雨隠る 御蓋の山を 高みかも 月の出で来ぬ 夜はふけにつつ 巻6-980 |
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奈良公園の南、春日山の麓に広がる奈良市高畑町は、古来、春日大社の神職が住む社家町でした。昭和初期 には多くの文化人が居を構えた。世界的な数学者で、文化勲章受章の岡潔は、晩年の十数年この地で過ごし、ひなびた たたずまいを愛した。古い土塀や町屋、志賀直哉の旧居、小さいながら趣のある古刹が残っていて静かである。
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手前は荒池、向こうは奈良公園、三角形に山が御蓋山(みかさ)である。 背後は春日奥山(春日原始林)。御蓋山の全容が真近に眺められる。 |
鷺(さぎ)池に浮かぶ浮見堂 |