琵琶湖疏水記念館地図
琵琶湖疏水
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琵琶湖疏水⇒⇒⇒ |
琵琶湖疏水に船が通る⇒⇒⇒ | |
全動画⇒⇒⇒ |
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扇ダム放水路 | ペルトン式水車 | |
今川正彦(元京都市長)筆の扁額「楽百年之夢」百年の夢を楽しむ、が放水路の出口にある。 |
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十石舟めぐり(3月26日〜5月6日) | |
南禅寺舟留まり乗船場から夷川ダムまでの疎水を昔ながらの小舟に乗る。 |
明治維新により沈みきった京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疏水の建設を取り上げた。疎水の力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を 盛んにしようという計画であった。 東京の工学部大学を卒業したばかりの田邊朔郎が土木技師に菜用され準備を進めた。 明治18年(1885)に着工した。 滋賀県の琵琶湖から京都の鴨川まで水路が建設された。 第一トンネルは長さが2、436mもあり、我が国初めての竪坑を堀り、れんが、材木も直営で生産し、ほとんど人力だけで工事を進めた。 着工から5年後(1890)に完成し、水力発電を菜用したおかげで、新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は活力をとりもどした。 それから20年後、更に豊かな水を求めて第二疎水を建設し、同時に水道と市営電車を開業したことで、今日の京都のづくりの基礎ができあがった。 |
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JR京都駅前に立つ 電気鉄道事業発祥地碑 |
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地図 | 地図 |
琵琶湖疏水は、大津市三保が関で取水し、 三井寺の山下を通 り、京都市蹴上へと流れる人工の水路です。 延長約9キロメートル。 京都市の飲料水、 発電、物資輸送、農業用水など多目的利用の ために立案されました。 第1疏水は明治18年(1885)、 青年技師田邊朔郎の指導のも とに着工、同23年に開通。 第2疏水は明治45年(1912) に完成。 工事が国家的レベルの事業であったことを示すように、隧道の各 洞門には伊藤博文を始めとする著名入が揮着した扇額が掲げら れています。 桜シーズンに見られる水と桜による美しい風景が評判です。 大津まちなか元気回復委員会。 |
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地図 |
琵琶湖疏水は,明治維新で東京に都が移り, 活気を失っていた京都の 復興を目指して, 明治18(1885)年に建設を始め,明治23 (1890)年に 第一疏水*が完成しました。 琉水の水は,水車動力,舟運,灌漑、防火などに使われ, さらに日本 初の事業用水力発電に用いられました。生み出された電力によって, 工 業が発達し,日本初の電気鉄道が走るなど, 京都はにぎやかさを取り戻 していきました。琵琶湖の豊かな水を引いたことは, 京都の発展をもた らしたのです。 多くの恵みを京都にもたらした琵琶湖疏水は,今も水道や発電などの 水として,市民の生活を支える源となっています。 ※ 建設当初3つのトンネルがあり,各出入口には明治の元勲が文字を書 |
江戸の栄華と明治の反動 | 高瀬河と木屋町通 | インクライン | 伏見城 |
哲学の道 | 哲学の道 | 疎水分流 | 第二疎水分流 |
京都近代美術館 | 京都御苑 | 南禅寺 | 三井寺 |
平等院 | 琵琶湖疏水記念館 | 五山の送り火 | 琵琶湖疏水 |
鴨川納涼床 | 琵琶湖疎水 | 琵琶湖疎水 |
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第一竪坑 (シャフト) 琵琶湖疏水は,明治維新で東京に都が移り,活気を失っていた京都の復興を目指してつくられたもの で,明治18 (1885)年に,第1疏水の工事がはじまりました。第1疏水の第1トンネルは,大津の三井寺下と 藤尾の両側から掘りすすめられました。同時に,藤尾側から約740m (第1トンネル全長の3分の1の地 点)のところに第1竪坑を掘り下げ,その底から大津の三井寺下・藤尾の東西両側の出入り口に向けて 掘り進め,東西の卜ンネルが貫通しました。このようにして明治23 (1890)年に完成した第Iトンネルは, 当時日本で一番長いトンネル(全長2,436m)となりました。 竪坑とは,地表から垂直に掘り下げた坑道で,工事の促進?換気・採光のためにつくられました。竪坑の 深さは約50mあります。また,地上から5.5mまでの坑口上部は,直径5.5mの円形,それ以下の部分は 3.2mX2.7mの楕円形になっています。 琵琶湖疏水工事の責任者であった田邊朔郎は,昭和14 (1939)年,施水工事を振り返って「一番苦しん だのは竪坑ですけれども,それと同侍に工事上で安心を与えてくれたのがあの竪坑です。」と語ってい ます。 なお,平成8 (1996)年6月には,第1疏水のトンネル(第1,第2,第3)の各出入口,第1竪坑,第2竪坑,第11号橋 (本邦最初鐵筋混凝土橋),山ノ谷橋,蹴上インクライン,南禅寺水路閣の12箇所が国の史跡に指定されました。 |
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琵琶湖からの取水口 | 園城寺大門(仁王門) |
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第1トンネル出口部の扁額 文字:廓其有容(かくとしてそれいるることあり) 揮毫者: 山縣有朋 (やまが たありとも) 意味:疏水をたたえる大地は,奥深くひろびろとしている |
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第1疏水は1890 (明治23)年に完成しましたが、明治30年代に入ると電力需要等の増大への対応や、 地下水に頼っていた飲料水の不足が問題となり、第1疏水の北側に第2疏水が 1912(明治45)年に造ら れました。第2疏水は主として水道水源に用いるため、水が濁るのを防止する目的で、埋立てトンネル としました。 このアーチ状のコンクリート構造物は、疏水の建設や維持管理に従事していた作業貝が建設技術を 習得するため、第2疏水の埋立てトンネル上部の複製を製作したものだといわれています。第2疏水は 地上からはほとんど見えませんが、蹴1:の第1疏水との合流点(写真)で見ることができます。 |
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「鬼の寒念仏」僧衣をまとっているが慈悲深い」姿とは裏腹に、中身は鬼であることを風刺し 角は人の我でそれを祈ることを教えている |
「藤娘」四百年齢を経ぬままの藤娘。大津絵美人画の代表であり、今日までいまだ人気が 衰えない。昔から良縁の符として有名である |
「猫と鼠の酒盛り」鼠が差し出す肴は唐辛子、猫の肴は当然鼠で、「聖人の教えを聞かず終 に身を滅ぼす人のしわざなりけり」とある |
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