長等山 園城寺(ながらさん おんじょうじ・三井寺 地図

   
 園城寺金堂(国宝) 
仁王門(重文)
天台寺門宗本山
開祖 智證大師
 大津市琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有する、
天台宗門宗の総本山。
 湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知らる。
 金堂から延びる参道の両側、自然石を積み上げた穴太積(あのうづ)みの
石垣越しなど、多くの紅葉スポットに恵まれる。
 宝徳4年(1452)の建立。
 浄城への表門として慶長6年(1601)、徳川家康より甲賀の常楽寺より移築、
寄進された。 
 創建は壬申の乱で敗れた大友皇子の息子である大友与多王が、
父の霊を弔うために建(天武天皇元年・672)にてられた。 
 桁行7間、梁間7間一重入母屋造檜皮葺。
 現在の建物は慶長4年(1599)に北政所によって建てられたものである。
 桃山時代の特色が向拝の手挟(てばさみ)や蟇股(かえるまた)などにみられる。
 内外陣を格子戸や扉で仕切り、外陣・後陣・脇陣を板敷(床張り)に、
内陣を土間にするなど、天台密教寺院における仏堂の特色をよくあらわしている。 
琵琶湖疏水、この水が山科疏水を経由し京都蹴上
の方に流れる。11時の方向に観音堂がある。
動画 琵琶湖疏水⇒⇒⇒
動画全体⇒⇒⇒
鐘楼(重文)
三井の晩鐘。
 近江八景のひとつ。
 音の三井寺として日本三銘鐘のひとつににも数え
られている。
 この鐘は慶長7年(1602)弁慶の引摺り釣鐘の
跡継ぎとして鋳造された。
 目方は六百貫(2250kg)。
除夜の鐘の百八煩悩に因んで、
鐘の上部には乳といわれる百八箇の突起がる。
       
 霊鐘堂・弁慶の引摺鐘(重文)  延暦寺にある弁慶のひきづり鐘の絵
 奈良朝時代前期の鋳造で、むかし俵藤太秀郷が百足退治のお礼に龍神よりもらい当寺に寄進されたと伝えられている。
 弁慶が引き摺った疵痕が残っている。 
 三門(さんもん・比叡山)と寺門(じもん・三井寺)とが抗争にあけくれているころの話。
 比叡山西塔の武蔵坊にいたと云う衆徒の荒法師弁慶は、つねに三井寺焼討ちの先峰として攻撃していた。
ある戦いの時、三井寺の伽藍を焼いたうえ名鐘の一つを奪った豪力をもって任ずる弁慶は一人で引っぱって帰り大講堂につるしたと云う。
その時のつり鐘は三井寺の戻り、引っぱられた時の傷がついたまま保存されている。
釈迦堂(重文) 三重塔(重文) 閼伽井屋(あかいや・重文) 村雲橋
釈迦堂
室町時代の建築で、中世寺院の食堂(じきどう)の様式を伝える。
本尊の清凉寺釈迦如来を祀る。

閼伽井屋
 建物は、桁行三間、梁間二間、向唐破風造(むかいからはふう)、
檜皮葺で桃山時代の特色をもっている。
屋根は金堂の素木に対して極彩色を施してある。
慶長5年(1600)に金堂に続いて再建された。

 天智天武持統三天皇の産水となり、三井寺の名の起こり
となった涌泉(ゆうせん)が石組のあいだから湧き出ている。
正面上部に左甚五郎の龍の彫刻があり、
夜な夜な琵琶湖に出てあばれるもので、
目に五寸釘が打たれている。

閼伽井:仏前に供養する水を汲む井のこと。
閼伽井屋:閼伽井の覆屋として建てられたもの。

伝説竜の姿⇒⇒⇒
三重塔
 もと大和国の比曽寺(現在の世尊寺)にあった東塔を
慶長6年(1601)に移したもので、
大和地方における中世の塔の風格をもっており、
鎌倉時代和様の様式を伝える南北朝時代頃の建築とされている。
 塔は三間三重の塔婆の形式で、本瓦葺の屋根をもち、
各重の落ちも大きく、初重目に縁(えん)をつけている。
また、二重目、三重目に菱格子を用いている。
村雲橋
 開祖智證大師がこの橋をお渡りになっている時、
中国の清龍寺が焼けていることをおきとりになった。
閼伽井の水を以っておまきになると、橋の下から村雲が湧き起こり
中国に向かって飛び去ったが、翌年清龍寺から鎮火のお礼の使者が来たという、
一切経蔵(いっさいきょうぞう)重文 護摩堂
一切経蔵
 仏教のすべての経典、一切経(大蔵経)を納める施設。
この経蔵には版木の一切経が収められている。
桁行1間、梁間1間、一重、宝形(ほうぎょう)造、檜皮葺の
禅宗形式をもった建物である。
 裳階(もこし)を付けているため柱間が3間3間、屋根が2重に見える。
この経蔵は、もと山口県の国清寺にあったものを毛利輝元によって
慶長7年(1602)に移されたといわれている。
護摩堂
 桁行三間、梁間(はりま)三間、一重宝形造(ほうぎょうつくり)、
本瓦の小堂で、灌頂堂(かんじょうどう)と渡廊下によってつながれている。
建立年代については、寺伝によると後水尾天皇の祈願により建てられた
ものといわれている。
観音堂(重文)
西国三十三所霊場第十四番札所
本尊 如意輪観音坐像
本尊の右に愛染明王坐像、左に毘沙門天立像が安置。
奉納舞かっぽれ 如意輪観音坐像
(重文)
三井寺ポスターより
 二層瓦葺如意輪堂ともいわれる観音堂の前には観月台があり、琵琶湖、近江富士、大津の街が
一望できる。日本三名鍾の晩鐘は金堂わきにある。
観音堂は園城寺南院札所伽藍の中心建物でを祀る。
建立年代は棟札により元禄2年(1689)に再建上棟したことが知られる。
建物は正堂(しょうどう・仏像を安置する部分)と礼堂(らいどう)の造り合いで繋ぐ複合建築である。
礼堂は桁行九間・梁間五間の重層入母屋造り本瓦葺で、側廻(がわまわ)りは面取り角柱に
舟肘木(ふなひじき)をのせ、漆喰壁をつけて簡素にまとめる。
正堂は柱・紅梁などに極彩色をつけ、元禄期の華やかさをみせる。
園城寺別所 微妙寺(びみょうじ)
本尊 十一面観音(重文)
境内 境内から琵琶湖が眺望できる
園城寺別所 微妙寺
園城寺(三井寺)五別所の一つ。別所とは平安期以降、
広く衆生を救済するため本境内の周辺に設けられた園城寺の別院で、
当寺のほかに水観寺(すいかん)・近松寺(こんしょうじ)・尾蔵寺(びぞうじ)・
常在寺(じょうざいじ)があり、総称して園城寺五別所という。
本尊十一面観音は「はずれ笠の観音」「笠ぬげ観音」して親しまれている。