奈良盆地の古道と都
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奈良盆地の古道と都 橿原市教育委員会 NPO法人八木まちづくりネットワークより |
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下ツ道 中ッ道 上ッ道⇒⇒⇒ 丸山古墳⇒⇒⇒ 太子道(筋違道)⇒⇒⇒ 横大路⇒⇒⇒ 竹ノ内街道⇒⇒⇒ 奈良盆地の古道と都⇒⇒⇒ |
八木札の辻街
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西国三十三所名所図会 八木札の辻街(つじ・江戸時代) 地図 |
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中央の建物が東の平田屋。 奈良盆地には古代から、東西に横断する横大路、南北に縦断する上ツ道・中ツ道・下ツ道という幹線道路が存在していた。 近世・江戸時代になると、横大路を含む、河内から伊勢に通じる道は、初瀬街道または伊勢街道と呼ばれるようになった。また下ツ道は 、中街道と呼ばれ、北は奈良を越えて山城まで達し、南は吉野・紀伊方面に通じていた。この二つの街道の交差点が「八木札の辻」である。 江戸時代中期以降「八木札の辻」界隈は、伊勢参りや大峯山への参詣巡礼などで特に賑わっていた。 そのシンボルが札の辻に立つ旧旅籠「東の平田家」である。 今は「八木札の辻交流館」として再生。 旧旅籠(西)・ホテル河合 。 横大路⇒ |
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八木札の辻交流館(市指定文化財東の平田家(旧旅籠))は、八木札の辻の交差点に建っています。
古文書・構造手法などから18世紀後半〜19世紀前半頃に建てられたと考えられています。 江戸時代には「八木・木原屋、嘉右衛門」という屋号の旅籠で、大阪から八木を通り、伊勢に至 るまでの宿泊所を示した「大阪浪速講伊勢道中記御定宿附」という冊子の中で、「浪速講」に属す る正規の宿として紹介されていました。 旅籠を営んでいた当時は、1階が接客および主人の居室部分として、2階が宿泊施設として利用 されていました。 橿原市は平成22年6月に指定文化財に指定した後、土地を購入し、建物は所有者から寄贈を受 けました。そして平成23年度に整備工事を行い、平成24年7月から「八木札の辻交流館」という 名称で一般公開しています。 |
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奈良時代、平城宮朱雀門から朱雀大路を南下すると、下ツ道と呼ばれる街道になり、そのまま吉野を抜けて熊野方面へ通じていた。 その途中、伊勢街道と交差する「札の辻」は交通の要衝で、中・近世になると一帯は商業で栄えた。今の橿原市八木町あたりである。 この交差点が「札の辻」と呼ばれるようになったのは、多くの人々が行き交う場所だったので、ここで「おふれ」を書いた高札を立てて掲示 していたからという。 辻は江戸時代の絵入り観光案内書「西国名所図会」にも「八木札街(やぎふだのつじ)」として載っている。鳥瞰図となっている辻の絵には、 交差点の真ん中に高札が立ち、角には2階の窓に沿って長い手すりの付いた旅籠が描かれている。この旅籠は、今も外観をほとんどその まま平田家住宅として残っていて、お伊勢参りの人々でにぎわった当時をしのばせる。 松尾芭蕉や本居信長、吉田松陰も歩いたと、記録に残されている。 下ツ道を南へ下ると「おふさ観音」がみえてくる。 |
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八木には、札の辻を中心に古い町並みが残っています。 その中には「市指定文化財東の平田家(旧旅籠)」のほか、4棟の登録文化財があります。 また、初瀬街道沿いには、「センタイバ」という名で伝えられている場所があります。 そこでは伊勢神宮に参詣する「御蔭参り」の人々に、八木の町民たちが湯茶や食事を 振舞っていたといわれています。近年までその場所には、伊勢神宮参詣の道案内とし て設置されたたけ太神宮灯籠(だいじんぐう)が残されていました。 |
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愛宕祭 8月23,24,25 18時〜21時 春日神社(地図) |
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閤門の前で行われる儀式k |