今城塚古墳地図

 大阪府高槻市の今城塚古墳は、6世紀の大王·継体天皇の墓とみられている。その後円部か

ら排水施設を兼ねた石積みの遺構が見つかった。昨年度は石組みの排水溝が発見されただけ

に、「大王の眠る横穴式石室に通じるものでは」「これで大王の墓の可能性がますます強まった」
と期待はたかまったが
……。その延長上には石室はなかった。石室はどこにあるのか。すでに

破壊されてしまったのか。関係者にも困惑が広がっている。


 今城塚古墳は全長190mの前方後円墳で、出土した埴輪から6世紀前半につくられたとみ

られる。継体天皇の没年は、日本書紀によれば531年。

宮内庁は今城塚古墳の南西1.5kmにある太田茶臼山古墳を継体天皇陵としている。

 だが、同庁の調査で見つかった埴輪から5世紀半ばの古墳だとわかり、6世紀前半では最大

の今城塚を「真の継体陵」と見る研究者が圧倒的に多い。

 国の史跡となっている今城塚古墳の規模や性格を確認するため、高槻市は97年から発掘調査

を進めてきた。これまでに、熊本県·阿蘇産、兵庫県·竜山産、奈良県·二上山産、と3種類の凝灰岩
の破片が見つかっ
た。石棺のふたに使われた材料と見られる。またガラス玉や鉄の矢じり、
よろいの一部なども
出てきた。「三つ以上の石棺を収めた横穴式石室があるのでは「すでに盗掘
されてしまっ
たか」と推定されたが、石室がどこにあるかは不明なままだ。

 今年度の調査では、約15m延びる排水溝の先に、人の頭ぐらいの川原石を積み上げた石組

みが見つかった。当初は「石室の天井部分か」と関係者も騒然となった。だが、最終的には直

丘にしみこんだ水を排水溝に流し、墳丘を補強するためのものだとわかって、がっかり。

 天皇陵級の大型古墳をつくる技術の高さがうかがえる発見だったが、古墳の主が眠る石室の

発見には結びつかなかった。

さらに、今回は気になるものが見つかった。花崗岩の破片と、鶏卵ほどの大きさの丸い玉石だ。
花崗岩は石室の壁や天井
に多く使われ、玉石は石室の床などに敷き詰められる。高槻埋蔵
文化財調査センターの森田
克行所長は「花崗岩にはかなり大きなものもある」と顔を曇らせる。
石室が破損しているおそ
れも出てきたからだ。

 今城塚の墳丘は、ほとんど原形をとどめないまでに崩れている。これまでの調査で、1596年の
慶長伏見地震で大規模な
地滑りが起きていたことが確かめられた。今回の調査でも、現在の
後円部で最も高い部分より
上からの地滑りの跡が確認され、後円部は現状の11mより、2、3mは
高かったことが明ら
かになった。

 地滑りで石室がむき出しになったか、壊れてしまったか。花崗岩は建材などにするために持
去られ、後には破片だけが残
ったか。いろいろな可能性が浮かび上がってくる。

 もちろん、石室が後円部のもっと深くに埋もれているとも考えられる。ぜひ確かめてほしいところ
だが、来年度の前方部の
発掘で、一連の調査は終了する予定。大王を葬っ 石室は、残っている
のか否か。ミステリー
の解明は、少なくとも数年で持ち越されそうだ。
  2005-3-5朝日新聞(今井邦彦)

 大阪府高槻市の今城塚古墳墳長181mの前方後円墳です。発掘調査でわかった埴輪祭祀場が、

二重周濠の内側の堤(内堤)の北側張り出し部分に再現されています。埴輪の模型が実物大で並
んでいます。埴輪の
馬と背比べして、大人も子どもも楽しそうです。

 今城塚古墳は20世紀はじめから、本当の継体天皇陵だろうと言われてきました。宮内省(当時)
でも公式に議論さ
れましたが、江戸時代以来,継体天皇陵と定められている太田茶臼山古墳
(大阪府茨木
市)から変わることはありませんでした。

 戦後、今城塚古墳は文化庁の国史跡となり、今は「いましろ 大王の杜」という古墳公園として
整備されていま
す。周濠や堤、墳丘の上も、誰もが自由に行ったり来たりできます。古墳が人と
人をつ
なぐ役割を果たしています。

 大山古墳は墳長486 m、大阪府堺市にある古墳時代最大の前方後円墳です。葬られた人物
は、5世
紀の「倭の五王(讚·珍·済·興·武) 」の後半の大王と考えられています。築造当初からあっ
たかどうか議論があ
りますが、三重周濠がめぐります。そのため、よほど高い建物に上がるか、
飛行機にで
も乗らなければ 、内濠や墳丘の大きさを実感することは難しいでしょう。

 仁徳天皇陵と定められ、宮内庁の厳重な管理が続いています。墳丘はうっそうとした森となり、
周辺から隔離され
た静かな空間に包まれていることでしょう。もちろん、陵墓に人の姿はありませ
ん。

 過去の大山古墳は違う環境にありました。森は悠久の歴史に育まれたようにみえますが1879
(明治12 )年撮
影の拝所背後の墳丘は、笹のような植物で覆われています。日ざしが注ぐ明るい
空間
です。タイムマシンで訪れる機会があれば、どの時代を選ぷかで、大山古墳の印象は異

なるものになるでしょう。

 3世紀に築かれた桜井市の箸墓古墳は墳長280 m、伝説上の女性であるヤマトトトヒモモソヒメノ

ミコトの墓に定められ、柵の中に入ることは出来ません。普段は宮内庁が固く禁じていますが、
2013年2月に学
会関係者16人の立ち入りが許可されました。墳丘裾の巡回路からの観察に限
るという条
件が付きました。

 それでも、私たちは墳丘に遺された歴史上のメッセージがないかと目を凝らしました。柵外の
路上には、その様
子を撮影するテレビ局のカメラマンがいます。ひと時の喧騒ですが、「静謐
(せいひつ)」が損なわ
れると眉を曇らす人もいたでしょう。

 明日香村の鬼の雪隠に自転車に乗った家族連れがやって来ました。観光客に親しまれる
石造物です。
横口式石槨の盞石です。間近に見ることができます。立て札に気づく人は稀かも
しれません
が、鬼の俎,雪隠古墳は、宮内庁の欽明天皇陵の飛地(陪家)となる天皇陵古墳です。

 5世紀の大山古墳、6世紀の今城塚古墳はともに倭国の大王墓ですが、現在の人とのつなが
り方は異なります。3
世紀の箸墓古墳は、1日限りの研究者への公開でした。7世紀の鬼の俎·
雪隠古墳は
誰もが本物に接する毎日です。
  2018-3-31 朝日新聞 今尾文昭

継体天皇陵⇒⇒⇒
奈良を襲った大地震⇒⇒⇒ 
陵墓に眠るのは誰⇒⇒⇒
佐紀石塚山古墳⇒⇒⇒ 
ヒシャゲ古墳⇒⇒⇒