甘樫丘(あまかしのおか)地図

甘樫丘より二上山畝傍山,を望む。
 展望広場まで上ると、金剛山系、大和三山藤原宮跡、飛鳥京などの美しい風景を眺めることができる。
甘樫丘から北方向に耳成山を望む。
入鹿の首塚
蝦夷(えみし)・入鹿父子
の邸宅があった甘樫丘。
 標高148mの緩やかに続く小高い丘。甘樫丘からの眺め。  蘇我蝦夷・入鹿が家を並べて建て、
蝦夷の家を上の宮門(みかど)、
入鹿の家を谷(はざま)の宮門と称し、
家の外に城柵を、門のかたわらに兵庫をつくって
防備したという。 
 飛鳥は仏教伝来の地であり、仏教を中心とするはなやかな文化の花を開かせた
都の地である。甘樫丘はその飛鳥の中央に位置する。当時の権力者蘇我一族が
豪壮な邸宅を構えたところの丘の上に立つと、飛鳥の小盆地は、ほとんど一望の
もとにおさめることができる。
 東に飛鳥寺の手前、延長線に小さく首塚も見え、飛鳥坐神社、
の一本の細い道もよくみえる。
西に青々と広がる水田が、万葉集に歌われた飛鳥真神原(まがみはら)地域。
 万葉集、古事記、日本書紀にうたわれた、アセビ、カシワなど万葉植物が
40種類も群生する。
また、はがき(葉書)の語源とされるタラヨウが植えられている。
 飛鳥真神原について。
またの名を飛鳥苫田(とまた)といい、飛鳥寺付近の平地で、
狼がすむような場所であった。
狼は、山でもなく平地でもない林地や丘陵に群棲する。
真神原は新開拓地といってよかった。しかし、
ひとたび開発され宮都が営まれると、
当代第一の都会となり、奈良時代の人々の心の故郷となった。
 甘樫丘東麓遺跡では、大化の改新のきっかけとなった
乙巳の変(645)で倒された蘇我入鹿の邸宅があったと
される。
石垣や、倉庫、城垣(きかき)などと思われる跡が
発見され、広範囲に要塞化していた様子がある。
首塚 飛鳥寺
甘樫丘公園
伝飛鳥板蓋宮跡と甘樫丘  甘樫丘の西北に甘樫坐神社が鎮座する。
允恭天皇(いんぎょう)が甘樫丘で盟神探湯(くがたち)をして天下の多数の
氏族の素性や格式を定めたとある。
Amakashinooka(あまかしのおか)が正しい。


 甘樫丘地区にあり、昭和57年(1982)にオープンした。
里山の自然に出来るだけ近づけるように配慮した整備がなされた。
飛鳥の地にマッチした公園となっている。
 明日香河川淀(かはよど)さらず霧の(おも)ひ過ぐべき恋にあらなくに
山部赤人 巻3−326

 采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
志貴皇子 巻1−51  明日香宮より藤原宮に遷居りし後
 
橿原考古学研究所付属博物館⇒