キトラ古墳地図

   
 キトラ古墳壁画体験館  地形復元模型
   

 キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め頃に造られた古墳で、丘陵の南側斜面に位置します。墳丘は二段築成の円墳

で、発掘調査の成果などから、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。現在の墳丘は下段部分を

築造当時の大きさに復元しています。内部には二上山産凝灰岩の切石を18枚組み合わせて作られた石室があります。

石室内部は奥行2.40m、幅1.04m、高さ1.24mの大きさで鎌倉時代に盗掘を受けていましたが、刀装具片、琥珀玉な

どの副葬品の一部と、木棺片や棺の飾金具、人骨などが出土しています。

昭和58年に行ったファイバースコープによる石室内部の探査で、北壁に玄武が描かれていることが分かり、高松塚

古墳に次ぐ我が国で二例目の大陸的な壁画古墳であることが明らかとなりました。その後の小型カメラによる探査で

は、青龍、白虎、朱雀、十二支像、天文図がみつかりました。

石室内部の少型カメラによる探査では、壁画が危険な状態にあることも明確となりました。そのため、早急な対応

が必要とされ、平成15年に仮設保護覆屋を設置し、平成16年に石室内の調査を行いました。その結果、すべての壁

画を取り外して保存処理を行う方針が決定しました。

この方針を受けて平成22年までにすべての壁画が取り外され、修理が進められました。現在は壁画の保存・公開が

行われています。


平成28年文化庁

 昭和58年(1983)にキトラ古墳の石槨奥壁(北)の玄武が確認され、その後、東・青龍、南・朱雀、西・白虎、と天井・日月天文図、各壁の低位置に
十二支獣頭人身像も発見された。十二支の方位は天文図と四神図に呼応し、石槨内に宇宙的な広大な空間を構築している。
 図線は法隆寺壁画とちがい、漆喰下地に描かれている。
 キトラ古墳の天文図は、北緯37.6度程の地点から観測された図であるようで、原図は古い朝鮮半島製かも知れない。
 吉野の盟約の6皇子が被葬者に該当される可能性がある。
 その中で、天武の長男、高市皇子(696没)が推定される。
 皇太子だった草壁皇子(689没)は天皇と同じ八角形墳の束明神古墳。
 河嶋皇子(691没)はキトラと似た石室を持つマルコ山古墳。
 忍壁皇子(705没)は702年に再開した遣唐使が持ち帰った鏡を副葬し高松塚古墳に葬られた可能性が高い。
 文武(草壁の子)の真陵とされる中尾山古墳。
 天武・持統合葬陵の野口王墓古墳を加えた6古墳と藤原宮が、北斗七星の星の形に配置されている。
 円墳で漆塗り木棺を収めたキトラ古墳や高松塚古墳は、八角墳で乾漆の夾紵棺(きょうちょ)を収めた天皇陵に次ぐクラスの墓である。
 明日香村埋蔵文化財展示室⇒
 飛鳥の古墳⇒⇒⇒
 栗原塚穴古墳⇒⇒⇒
 高松塚とキトラ古墳⇒⇒⇒
 飛鳥の古墳⇒⇒⇒
  四 神   
  よみかた  季節  色  方位  地勢 
青龍  せいりゅう 青  東  川 
朱雀  すざく  赤(朱)  南  沼 
白虎  びゃっこ  秋  白  西  道 
玄武 げんぶ  黒  北  山 
 キトラ古墳の石室内には、四神、十二支、天文図、日月

の壁画があります。四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)は天の

四方を司る神獣で、四周の壁面に、対応する方位に合

わせて描かれています。日本で四神の図像全てが揃う

古墳壁画は、キトラ古墳壁画のみです。

 四神の下には、獣頭人身の十二支が描かれています。

北壁の中央に子像(ね)があり、方位に合わせ各壁に3体ず

つ配置されています。現在確認できているものは、子、丑

寅、午、戌、亥の6体です。

屋根形の刳り込みのある天井には、東の斜面に金箔

で太陽が、西の斜面に銀箔で月が表されています。天井

の平坦面の部分には円形の中国式の天文図が描かれ

ています。この天文図は、赤道や黄道を示す円を備えて

おり、本格的な中国式星図としては、現存する世界最古

の例です。

 

 キトラ古墳は、藤原京の南に広がる古代の皇族.

貴族などの墓域にある小円墳で、7世紀末~8世紀

初頭頃に造られたと考えられます。古墳は東西にの

びる丘陵の南斜面に位置し、2段の墳丘は、下段の

直径が13.8m、上段の直径が94mに復元できます。

 墳丘の中央には、18個の直方体の切石を組み上

げた石室があります。石材は凝灰岩で、古墳から北

西に約14キロ離れた二上山から運ばれたものです。

石室内には全面に漆喰が塗られ、四神や十二支、天

文図などの極彩色壁画が描かれています。













































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