山背大兄王地図

法輪寺 法起寺 藤ノ木古墳 法隆寺 中宮寺
「(伝)山背大兄王の墓所(富郷陵墓参考地) 大兄⇒⇒⇒
 地元で岡の原よ呼ばれているこの丘陵は、
聖徳太子の皇子・山背大兄王の墓所と伝えられ、
現在、宮内庁の富郷陵墓参考地(とみさと)となっています。
 山背大兄王は、法輪寺法起寺を建てられたとされ、
太子の後継者として皇位継承をめぐって田村皇子
(のちの舒明天皇)と争われたといいます。
 皇極2年(643)11月に斑鳩宮が蘇我入鹿の軍勢に攻められ、
太子一族は滅びました。大化の改新の2年前の出来ごとでした。」
政争と陰謀で増えた墓 聖徳太子の皇子はなぜ殺されたか 蘇我氏陰謀の挫折
高松塚古墳 皇極天皇 舒明天皇
稲荷山古墳の鉄剣名 聖徳太子の皇子はなぜ殺されたか 推古朝から舒明朝へ
聖徳太子 三井岡原古墳 飛鳥時代とは
飛鳥宮跡 法輪寺 寺川と飛鳥川流域
山背大兄王の死  蘇我氏の没落  西宮古墳 
吉野への道  太子の死と一族の悲劇