春日宮天皇(かすがのみや)地図
追尊天皇(志貴皇子・施基皇子 ?~716) 田原西陵 第38代天智天皇の第7皇子。第49代光仁天皇の父。歌6首が万葉集に見える。没年は、一説に715年。 平城京の東山麓にお住まいになっていたので、春日宮天皇(=田原天皇)とおくり名された。 奈良豆比古神社⇒ 白壁王が天皇(光仁天皇)になったことから、死後50年以上たってからである。 そのあたりから流れ出している小さな谷川、今の能登川か、岩井川のほとりの早春をお詠みなったであろう、 下記万葉集巻8 1418はとりわけ有名で、最高の詩の一つとしてたたえられている。 田原塚ノ本古墳⇒⇒⇒ あし⇒⇒⇒ |
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この皇子が正史に現れるのは、壬申の乱で天智系が亡びて以来、八代続いた天武系が称徳女帝で絶えた 時、志貴皇子のお子・白壁王が立てられて光仁天皇となれたからである。 弘仁帝皇子が桓武天皇で、99年ぶりの天智系復活であった。 続日本書紀は、霊亀2年(716)秋7月11日に、「二品志貴ノ親王薨。従四位下六人部ノ王、正五位下縣 犬養宿祢筑紫を遣して喪事を監護せしむ。親王は天智天皇の第7の皇子也」と、没年が万葉集の伝より も一年おくれている。 志貴皇子は政治的な面では目立った活躍はしなかったが、歌の名手として高く評価されていた。 |
石ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび) の萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子 巻8 1418 賀陽邦寿 書 歌碑設置場所は春日宮天皇陵前 |
鼯鼠(むささび)は木末(こぬれ)求むとあしひきの 山の獵夫(さつお)にあひにけるかも 志貴皇子 巻3 267 犬養孝 書 歌碑設置場所 |
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岩の上をほとばしる滝のほとりのさ蕨が 萌え出る春に、ああなったことだ。 |
施基皇子 (志貴皇子) |
春日宮天皇 光仁天皇 田原塚ノ本古墳 追尊天皇 白毫寺 白毫寺拝観の手引き 飛鳥宮跡 甘樫の丘 河嶋・大津・忍壁皇子の交わり 天武の宮廷に生きた天智の皇子 河嶋皇子 あし 朝風峠(明日香風) 万葉を旅する 遅咲きの天皇「光仁天皇」 謎が多い光仁天皇陵 |
朝風峠地図
(明日香風)
袖吹きかへす明日香風
飛鳥の風土を特色づけるのは、飛鳥川に沿って吹く「明日香風」。『万葉集』に、志貴皇子(?~七一六)の有名 明日香宮より藤原宮に遷居(うつ)りし後、志貴皇子の御作歌(みうた) 釆女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く ( 巻一~五一) (美しい采女の袖を吹き返していた明日香風。藤原宮は飛鳥から遠く離れているので、今では采女の袖を翻す
この歌には、明日香風は飛鳥に吹く風であり、大和三山に囲まれた藤原宮の地までは吹いてこない、とのロ吻が 真夏の午前十時頃、飛鳥川沿いの道を遡り、稲淵から栢森へ歩いたことがある。飛鳥川上坐宇須多伎比売命 陽が昇り、山の斜面や空気が熱せられてくると、上昇気流を生じ、そのため川下から風が吹き上がってくる。 飛鳥川の上流と飛鳥の盆地部の標高をみると、上流の栢森集落の栢森橋で二三九.八m、途中の祝戸橋(玉 |
万葉を旅する⇒ |
奈良豆比古神社地図
(ならつひこ)
祭神 平城津比古大神 施基親王 春日王 |
毎年十月八日、当神社の宵宮祭りに翁講により奉納される舞は国無形民俗文化財として指定されている。
この翁舞は、翁と脇の三人舞や互いに対面せずに行なう三番叟と千歳との問答など著しい特色をもち、民間に伝 わる翁舞として芸能史的に貴重な存在である。
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県民だより奈良 2022-9月号より |
今から一二000年余年前、光仁天皇の父田原太子が気療養のため、那羅山にある一社中に隠居せられる… とあるその一社こそ当奈良豆比古神社であって、その樹令千年余、土際の幹囲約 一二.八m、目通り斡囲約七.五m 樹高約三○、E枝張り約二○ mで、地上約七m のところに南北二枝に分岐し、古色蒼然たる樹相歳樟である。
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高札場
奈良阪の高札場があった場所は「大和名所圖會。寛政三年(一七九一)編纂の巻二」に描かれている。 奈良豆比古神社境内の東で、京~奈良街道に面して東向に建てられていた。 高札場は奈良町の中心「橋本町」と、町のおもな出入り口である「奈良阪村」その他「不空院辻·中辻町·柳町· 奉行所は、町民の守らねばならない事柄を、触れ書の回達の外に木札に書き各所に掲示場をつくって立てた。 天和二年(一六八二)に出されたものがあるが、内容はそれぞれの札の名で示されており、場所によっては 例えば、「忠孝札」には忠孝の心得の外に博奕や喧嘩口論の禁止の項を、「毒薬札」には、毒薬·にせ薬の あるいは買い占め、職人が仲間と組むことの禁止令をふくめている。 このようにして町民は触れ書や高札によって、日常生活を規制され、奉行所の権力の中に統制されたのであった。 近年は「奈良の町」の歴史を求めて、多くの観光客が訪れます。明治初期まで建てられていたご高札を、 し、改めて奈良阪町の歴史を後世に伝えると共に、新しいシンボルとして、地元は元より観光に来られた方々 昭和二十四年十月吉日
奈良豆比古神社式年遷宮建設委員会 奈良阪町自治会 |