蘇我入鹿首塚 地図
西方に甘樫丘を望む。 |
飛鳥寺の西隣に花崗岩製の五輪塔が立っている。「入鹿の首塚」とよばれるものである。 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で切られた蘇我入鹿の首が飛んできたと伝わるが、 負傷した入鹿が邸宅のあった甘樫丘(正面奥)に逃げ帰る途中、ここで絶命したとの見方もある。更に⇒⇒⇒ |
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中大兄皇子と藤原鎌足はこの蹴鞠(けまり)の場で出会い、645年に大化改新をなしとげた。 この時、二人は飛鳥寺に陣をかまえ、西門から甘橿(樫)丘の蘇我入鹿・蝦夷の館をにらん でいた。672年の壬申乱の時には軍隊がうめつくした。その後は、外国使節や遠方の使者を 歓迎する宴会の場所となり、噴水がおかれ、歌や踊りが満ちあふれた。西門はそんな歴史をみまもってきた。 難波の宮跡(幻の大極殿)⇒⇒⇒ |